教育失敗学から教育創造学へ   (読書編) ~子どもの教育に情熱をかける人々のために~ 

小学生と大学生の親です。 このブログでは,読書から得られた発見や視点を中心に,子どもの教育について考えていることを書き綴っていきたいと思います。

価値認識を重視することで陥る罠~教師のゲートキーピング



 先の戦争中の日本がどれだけひどいことをしてきたか,これでもかと授業で扱う教師はさすがに減っているでしょうが,「教師の調理した実際のカリキュラム」によって,正しい事実認識や関係認識を持てずに終わる生徒がいることは,昔も今も変わりません。
  
 歴史学習の場合,「アクティブ・ラーニング」とか「自ら学び自ら考える」授業をしたいと願う教師が,事実認識や関係認識を軽視して,生徒に特定の意味なり価値なりを認識させることを主眼にした指導をすると,どういう結果になるのでしょうか。
  
 ある大学の先生が,雑誌で高校における2つの授業を比較し,次のように評価している文章(雑誌ではなく,雑誌掲載予定とされた原稿)を読みました。

>前者の教師は,事象の網羅に軸を置いた,過去を知ることそれ自体を目標としたデザイン

>後者の教師は,時代の構造に軸を置いた,現代社会の考察を意識したデザイン


>両者はどちらも学習指導要領に忠実であるにも関わらず,前者の教師が展開する日本史の実際のカリキュラムと後者のそれでは似ても似つかぬものとなるだろう。これが生徒の歴史観や意識に与える影響は少なくない。歴史は個別事象の寄せ集めか,構造的なつながりを持つのか,歴史は民主主義社会の建設とは無関係か否か。

 「前者の教師」の実践が悪く,「後者の教師」の実践が良い,なぜなら,民主主義社会の建設にも役に立つから・・・と読み取れます。

 では,2つの授業の内容は,どのようなものだったのか。

 共通のねらいは,「室町時代の特色を学ばせること」でした。

 前者の教師は,「応仁の乱の前後に起きた出来事で,民衆に幸福をもたらしたもの,不幸をもたらしたものは何か」と問いかけました。

 この授業では,事実の認識や関係の考察に重きを置いたようですが,具体的な解説はされていません。生徒はグループで話し合い,発表して意見交換したそうですが,前述したような,好ましくない印象を与えたようです。

 後者の教師は,正長・嘉吉の土一揆に軸を置き,「どうしてこれまで不満があれば逃亡するしか無かった民衆が,この時代に集団での抵抗という手段を採用することができるようになったのだろう」と問いかけて,現在の我々はデモなど集団での抵抗が可能だが,こうした動きがなぜ室町時代に初めて,頻繁に生じたのか,原因を議論させた,といいます。

 結論は,「情報交換が自由に広範囲にできること」「自治意識」等が挙げられていたと・・・。

 この結論は,中学校レベルのものですが,高校の日本史の授業はそれでよいのでしょうか?

 東京書籍の中学校歴史教科書の記述を引用します。

>農村では,有力な農民を中心に村ごとにまとまり,惣と呼ばれる自治組織がつくられ,・・・略。

 団結を固めた農民は,荘園領主や守護大名にも抵抗するようになり,多くの村が結びつき,年貢を減らす交渉をしました。また,15世紀になると,土倉や酒屋などをおそって借金の帳消しなどを求める土一揆が起こるようになりました。一揆は近畿地方を中心に広がって,幕府に徳政令を要求するものもあり,幕府を動揺させました。


 帝国書院の中学校歴史教科書では,以下のように表現されています。

>室町時代になると,武士から庶民までが「自分たちのことは,自分たちの力で解決する」という考え方によって行動するようになりました。人々は,1人では実現が困難な目的をなしとげるために,タテのつながり(主従関係)とは別に,共通の利害をもつ者どうしのヨコの結びつきを強めました。その代表的な結びつきがさまざまな一揆です。一揆のときには,全員が平等な立場で神仏の前で誓い合い,共に行動しました。

 1428(正長元)年,近江国(滋賀県)の馬借が中心となり,幕府に徳政令を要求して土一揆を起こしました(正長の土一揆)。土倉や酒屋を襲って,土地売買や貸借の証文をやぶりすて,質に入れた品物をうばったのです。これをきっかけに,土一揆が近畿地方を中心に広がりました。


 これだけの知識を習得している中学生に,「集団で抵抗できた理由」を問う意味はあるのでしょうか。

 後者の教師の授業では,以下のことが確認されていたとのことです。

>大唐米の登場などから二・三期作が可能になり米の生産量が西日本で増大し余剰生産を取引する動きが生じたこと

>・・・中略・・・

>幕府や守護大名は民衆の揉め事を裁判等で取り扱うことはまずなく,また判決も実効力はなかったこと(自力救済社会)

 二・三期作は,二・三毛作の誤りです。「室町時代の特色」として,一揆が多発した背景には寒冷な気候のために飢饉が頻発したことがあることを,気づかせてほしいものです。

 その次の,揉め事を扱うことはない,と書いてありますが,徳政令を出したのはどこでしょうか。

 徳政一揆という性格は,中学校の教科書でも扱っています。

 また,裁判等で扱うことはまずないと書いておきながら,判決に実効力がない,というのはどういうことでしょうか。室町幕府の裁判記録は残っていますが,実効力が本当になければ,そもそも裁判に訴える意味はないでしょう。

 自力救済の意味は,中学校の教科書を読んでもらった方が理解してもらえそうです。

 意味や価値の認識ばかりを重視すると,事実や関係の認識という,「歴史認識」の基礎となる大切な能力がつかず,高校なのに中学校より低いレベルの授業になってしまいます。

 土一揆に対して「自治的で素晴しい」なんて評価を生徒がもし口にしたら,土一揆のために京都の民衆がいかにひどい目にあったかという資料を提示してあげます。

 学級崩壊だってテロだって「自治活動」として肯定されることになってしまうのです。
 
 同じような実践を読んだことがありますが,「民主主義的な姿」を教えたがっている教師の実践は,「日本史」の授業ではなく,歴史の出来事を題材にした,「現代社会」の授業です。

 他民族の土地を奪って自分のものにしてしまった国の社会科教育と同じでしょう。

 多分ですが,後者の教師は,そもそも「中世」という時代の特色がつかめていないのではないでしょうか。

 「中世」という時代は,「民衆と権力の対立」という単純な図式で捉えてはいけないのです。

 「権力の分散化」「支配・被支配の関係の複雑さ」「軍事力の優越」などが中世の特色です。

 「民衆」が「民衆」を殺すのを,「権力」が取り締まれない時代でもあるのです。

 それが「自力救済社会」です。

 歴史の知識が乏しい教員たちは,「学び方」だの『学び合い』だの抽象的な言葉を使って,「対話的で協働的な活動を増やそう」などと言っていますが,高校ではせめて中学校レベルより上の思考力なり判断力などを育ててほしいと思います。

 なお,1986年度の東京大学の入試では,中世の徳政一揆が非常に広汎なものになった背景を書かせる問題が出されています。


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信の世界に欺詐(ぎさ)多く,疑いの世界に真理多し~佐高信の昭和史

佐高信の昭和史
佐高 信
KADOKAWA/角川学芸出版
2015-01-23


 「信の世界」とはご自分の言論を指しているわけではありません。
  
 タイトルの言葉は,福沢諭吉『学問のすゝめ』から引用されている一節です。
  
>まじめで善良な市民の意識の中には,「だますのは悪人で,だまされるのは善人,だまされる側に罪はない」という思い込みがありますが,これもまた違う。だまされるということは,無知で,迂闊で,思慮が浅いということ。野生動物であれば生き残っていけないことを意味しています。

>だまされないためには,きちんと真実を知らなければならないし,疑念のあることには声をあげなければいけない。だまされ続け,流されてはいけないのです。

  
 伊丹十三の父で大江健三郎の岳父,舅である伊丹万作のエッセイ「戦争責任者の問題」が投げかけている問題も非常に重いものがある(引用は省略)。
  

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主体性は教科書から学ぶこと?~主体性の教科書



 「この通りにすれば,主体的に生きられる」
  
 こうやって「教科書どおり」に生きることが,主体的に生きる,ということなのか?
  
 まずは,主体的,自発的,能動的に行動しやすい部分と,
 
 行動しにくい部分に人間の生活は分けられることを自覚すべきだろう。
  
 最近,「主体的・対話的で深い学び」を授業で実現するための解説本が

 「今しか売れない」という勢いに任せて出版されているが,

 「主体的な生き方・学び方」がそもそもどういうものかを教えてくれる人が実は多くはない。

 みんな,「オレのやり方のマネをしてみろ」と始まる。




 だれかのマネをすること,過去の事例のコピペをすることは,

 一種の思考停止だ,という指摘がなされているが,まさにその通りである。

 状況に応じて方法をいろいろ変えてみること,そういう教師の姿が

 子どもに「主体性」の意味を教えていく。

 子どもに「大原則」を押しつけて,そこからはみ出そうとする人間を認めない教育方法が正しいわけがない。


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