教育失敗学から教育創造学へ   (読書編) ~子どもの教育に情熱をかける人々のために~ 

小学校と高等学校に子どもを通わせている親です。 このブログでは,読書から得られた発見や視点を中心に,子どもの教育について考えていることを書き綴っていきたいと思います。

「半身」のいることの大切さ~「ヘンな人」で生きる技術



 うまく「ヘンな人」になることで,同調圧力が強い日本社会を生き抜けるようになる・・・

 対談本の中には,二人の息が合っておらず,どう読んでも失敗にしか思えないものもあるが,マツ☆キヨの組み合わせは大正解だったようだ。

 帯の写真には,まだ垢抜けない感じを残すマツコ・デラックスと,現在とほとんど変わらない生物学者の先生が並んでいる。

 学校や職場での「いじめ」を考える上で,「マイノリティ」=「少数派」から見える社会の姿を聞いておくことは,非常に大事だと思われた。

 やや長くなるが,池田先生の日本人観(おそらく多くの人が共鳴できる内容だと思われる)を引用する。

>みんなでやるとなったら,ひどいことも平気でする。でも,自分ひとりだけでやろうということには向かない。日本人の場合,他の人が何を言っても,自分の意見はこうだということが少ないのも,同じことなんだよね。それはやっぱり,他人に合わせるだけで,自分の頭でちゃんと考えていないということでもあるんだよ。
 大勢に乗っているときには,間違っても責任を取らないでいいんだもの。「みんなが言っていたからそれが正しいと思っていた」で話を済ませられるんだから。だけど,それと反対のことを言うためには,なぜそれが違うと思うのか,自分で根拠と理屈を考えて言わなければならないでしょ。
 メジャーな意見に賛成するのはとっても楽なわけだよ。「みんながそういうふうに言っていたから,自分はただそれを信じただけだ」と言って責任から逃れられる。
 そういう傾向がとても強いこの国で,大勢とは違う自分の考えを出すためには,なんとなく斜めにかまえていないといけないよな。正攻法で言っても相手にされないから,半身になってやる必要がある。


 集団によって始められた「いじめ」を止めることが,この日本ではいかに難しいかを実感できる内容ではないだろうか。

 「いじめ」を止めることができなかった傍観者を責める人も少なくないが,あなたが当事者だったら本当に止められるのかと・・・。

 逆に,「あいつはいつもヘンなことを言う子」という共通認識をされているものの,「いじめ」の対象にはならない,といった稀有な状況にある「ヘンな子」がいれば,その子による「これ,なんかおかしいんじゃない?」の一言で,「いじめ」は吹っ飛んでなくなるのではないか,という希望も持てる気がする。

 「ヘンな子」でないと,逆に「いじめ」のターゲットになるリスクが格段に高まるだろうが・・。

 特定の子どもを「いじる」空気は,教師の側が生成することもある。それが「いじめ」につながっていくのも,みんなが「風」を感じて流されていくから,という見方もできる。

 「自分の頭でしっかり考える力」を,学校現場ではどのように育成していくべきなのか。

 まずは,「自分の頭でしっかり考えていない状態」とはどんな状態なのかを実感させる必要があり,子どもを傷つけずに実感させる場をどう設けていくかが課題となると私は考える。

 私の場合は,教科指導でも行うが,学年経営の経験上,もともとの能力差が大きい「教科学習」という授業の場ではなく,新しい道徳を含む「教科外活動」が最も適していると認識している。

 正解があらかじめあるのではなく,正解をみんなでつくっていこうとする活動,正解がたくさんあることに気づいていける活動こそが,「自分の頭で考える力」を伸ばすものだと思っている。

 にほんブログ村 本ブログへにほんブログ村 本ブログ 読書備忘録へにほんブログ村 教育ブログ 教育論・教育問題へにほんブログ村 受験ブログへにほんブログ村 受験ブログ 受験生の親へ教育問題・教育論 ブログランキングへ

「対話的な学び」とは?~対話する社会へ

対話する社会へ (岩波新書)
暉峻 淑子
岩波書店
2017-01-21


 「主体的・対話的で深い学び」を義務教育で実現しようとする意気込みは歓迎する一方で,教師自身,あるいは教職につこうと努力している人たちがそういう学びをほとんど経験していないため,「絵に描いた餅」で終わってしまうことの危惧も強い。

 「戦争・暴力の反対語は,平和ではなく対話です」という帯の言葉に引かれてこの本を読もうとしたのだが,対話ができなくなりつつある世界にどうやって立ち向かおうというのか・・・あるいは,教育という手段によって,対話する社会の担い手をどう育てていくか,という話ではなく,とてもローカルな話題に終始しているのと,取材が十分とは言えないところがあって,こういう姿勢の著書では,本との対話にもならないなと感じてしまった。

 この本の中では,「対話喪失社会の陥穽」というコーナーで,職員会議の位置付けが法令で変わったことを引き合いに出し,学校現場の現状を批判しているが,校長や教師たちをあまりに低く見過ぎていることが気になる。ごくわずかな文字数で学校現場を「対話喪失」の代表例として挙げられるのは心外である。

 ご自身の大学の授業では,学生とどのような対話的な学びを実践されてこられたのかが全く見えてこない。教育の視点から読もうとしたのが間違いのもとだった。

 にほんブログ村 本ブログへにほんブログ村 本ブログ 読書備忘録へにほんブログ村 教育ブログ 教育論・教育問題へにほんブログ村 受験ブログへにほんブログ村 受験ブログ 受験生の親へ教育問題・教育論 ブログランキングへ

キャスターの教科書~キャスターという仕事



 発売から少し時間が経ってしまったが,素晴しい本を読むことができた。

 中学校教師である私は,クローズアップ現代の一部を視聴させて,生徒に議論させるという流れの授業を社会科で何度か実践したことがある。
  
 池上彰さんの番組は,すべて「分かりやすく説明してしまう」もので,授業には使えないが,「議論のための余韻を残す」クローズアップ現代のインタビューやVTRは,本当に教材としての価値が高かった。

 20年以上にわたる番組制作の全貌を描ききれない,というのは国谷裕子さんの言う通りだと思うが,その間に発し続けられた大切なたくさんのメッセージが,この著書にはしっかりとまとめられていると思う。

 池上彰さんのように,民放でも素晴しい番組づくりに励んでいる方もいらっしゃるが,NHKの存在意義を証明してくれる番組の最有力が,クローズアップ現代だった。

 存在意義が証明できることの一つが,「視聴者(インタビュー対象の支持者)からの苦情が寄せられることもあった」という事実である。

>この人に感謝したい,この人の改革を支持したいという感情の共同体とでも言うべきものがあるなかでインタビューをする場合,私は,そういう一体感があるからこそ,あえてネガティブな方向からの質問をするべきと考えている。その質問にどう答えるのか,その答えから,その人がやろうとしていることを浮き彫りにできると思う。日本語の何となくストレートに聞けない曖昧さをどうやって排除していくか,それは,インタビューをしていくうえで大きな課題だ。

 同調圧力が強い日本が,かつてその圧力によって国が崩壊しかねない悲劇を招いたことを,知らない人はいないはずである。

 危機を間近に感じれば感じるほど同調圧力が高まるという弱点を抱える日本人にとって,国谷さんのようなキャスターがいることは,非常に大きな財産であった。

 ジャーナリズムが失ってはならないものを訴え続けて,国谷キャスターのクローズアップ現代は最終回を迎えてしまった。

 最終回のゲストとなった柳田邦男さんは,「危機的な日本の中で生きる若者たちにハか条」を用意されていたということだが,番組では四か条として紹介された。著書の中で,国谷さんが全ハか条を掲載してくれている。私は,「若者」はもちろんだが,現役のキャスター,ジャーナリストたちに,この言葉を噛みしめてもらいたい。

>一 自分で考える習慣をつける。立ち止まって考える時間を持つ。感情に流されずに論理的に考える力をつける。

二 政治問題,社会問題に関する情報(報道)の根底にある問題を読み解く力をつける。

三 他者の心情や考えを理解するように努める。

四 多様な考えがあることを知る。

五 適切な表現を身につける。自分の考えを他者に正確に理解してもらう努力。

六 小さなことでも自分から行動を起こし,いろいろな人と会うことが自分の内面を耕し,人生を豊かにする最善の道であることを心得,実践する。特にボランティア活動など,他者のためになることを実践する。社会の隠された底辺の現実が見えてくる。

七 現場,現物,現人間(経験者,関係者)こそ自分の思考力を活性化する最高の教科書であることを胸に刻み,自分の足でそれらにアクセスすることを心掛ける。

八 失敗や壁にぶつかって失望しても絶望することもなく,自分の考えを大切にして地道に行動を続ける。



にほんブログ村 本ブログへにほんブログ村 本ブログ 読書備忘録へにほんブログ村 教育ブログ 教育論・教育問題へにほんブログ村 受験ブログへにほんブログ村 受験ブログ 受験生の親へ教育問題・教育論 ブログランキングへ
最新コメント
アクセスカウンター

    受験ブログ
    livedoor 天気