教育失敗学から教育創造学へ   (読書編) ~子どもの教育に情熱をかける人々のために~ 

小学生と大学生の親です。 このブログでは,読書から得られた発見や視点を中心に,子どもの教育について考えていることを書き綴っていきたいと思います。

知者不惑,仁者不憂,勇者不懼(おそれず)~論語・子罕篇



 知者でも仁者でも勇者でもない人はたくさんいる。
  
 何が足りないのか。

 知恵は何から生まれるのか。

 どうしたら道理をわきまえることができるのか。

 人を不安にさせるものは何か。

 どうして人を思いやることができないのか。

 信じることに立ち向かう勇気はどうしたらもてるのか。

 近くに知者がいたら,どうだろう。道理を教えてもらって人は変われるだろうか。

 近くに仁者がいたら,どうだろう。気持ちをよく理解してもらうことで,人は同じように他人を受け入れることができるようになるだろうか。
 
 近くに勇者がいたら,どうだろう。その後をついて行けるだろうか。

 もし近くに,道理をわきまえず,周囲に迷惑ばかりかける人がいたらどうだろうか。

 もし周囲に,他人の悪口ばかり言い立てて,自分のことを認めてくれる人がいなかったら,どうだろうか。

 もし,信じられるものをもたず,路頭に迷っている人ばかりに囲まれていたら,どうだろう。

 人はどうやって育つのか。

 答えはそう難しくないことがわかる。

 人を育てるのは,すべての人である。

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新しいものの良さが認められるまで~西洋美術史



 フランスの絵画と聞いて,印象派のことが思い浮かべられない人は単純な勉強不足である。
 
 今では,日本の歴史の学習で,中学生でも知っている内容となっている。
 
 ただ,中学校の歴史の学習では,印象派の画家たちが当時のフランスでは「反逆児」「異端児」と思われていた存在だったことは扱われない。

 ちょっとした知識の追加で,「歴史上,よくあるパターン」の一つを学ぶことができる。

 浮世絵の表現法は,伝統的な西洋美術ではタブー視されていたという。

 印象派の中でも特に造形的な面で浮世絵の影響を受けた画家としてドガが紹介されている。

>左右非対称の構図や極端なクローズアップ,幾何学的ではない遠近法,そしてモチーフを画面の端で切り取る手法などにその影響が表れています。また,都市の風俗を積極的に取り上げた点も浮世絵的なうえ,スナップ写真のような構図も当時は浮世絵的と見なされていました。

 しかし,フランスでは,印象派の絵画は散々な評価しか受けられなかった。

 その印象派の絵画に人気の火がついたのは,1890年代のアメリカであり,アメリカマネーが,近代絵画の発展を支えていった。

 アメリカ人には,ヨーロッパ人のように古典主義に対する先入観が薄かったことが,文化的コンプレックスを抱いていたフランスからもたらされる新しい美術を歓迎することになった理由として説明されている。その「奥」には,すでに滅んだ徳川政権時の浮世絵があったわけである。

 「周回遅れのトップランナー」には,自分がトップに立っている実感はない。

 文化の価値は,必ずしもその文化のオリジナルの国だけが評価者である必要はない。

 文化の伝わり方というのは,担い手の社会的な位置とセットで考えることができるので,社会のあり方を多面的に考えることができるとてもよい学習テーマである。

 
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世界に日本という国があってよかった!~コンテンツの重要性がわかる本



 教育政策において,日本は「周回遅れのトップランナー」になっているという指摘がある。
 
 世界の教育の潮流はコンピテンシーベースに向かうとされていたが,その教育における問題が見え始めているため,コンテンツベースの重要性を再認識する,というのが「最先端」なのだそうだ。

 日本は,学習指導要領の改訂にあたり,アメリカの教育のモノ真似をして,コンピテンシーベースへの転換を目指そうとしたのだが,直近の「ゆとり教育」の失敗を繰り返さないために,「内容は減らさない」=「コンテンツ量は維持する」ことが前提とされたため,「両方が大事だ」という立ち位置になった。

 私が以前から繰り返し本編のブログでも述べているように,「汎用的な能力を身に付けさせるべきだ」「何ができるようになったかが大事だ」という主張を受け,「だからアクティブ・ラーニングを進めなければならない」として,すでに一部で取り組みが始まっているものの,「活動ありき」「活動のモノ真似だけ」の授業実践が増え,「結局,もっているレベルの能力を使って問題に対処(これを学校現場では「解決」とよぶ)しただけで,後には正しい知識もより高次の能力も身に付かないまま終わる」子どもの姿がはっきり見えてきてしまっている。特に高校でこれが顕著だという。

 アメリカの歴史教育を研究している人が,『ハーバード日本史教室』を読んだら,一体どんな印象を持たれるのか,一度,お聞きしてみたい。

 歴史から社会や人間の本質を探る,という営みを放棄した歴史教育研究グループもあるようだが,ハーバードに通う学生の目を開かせている日本史のコンテンツとは何か。

 なぜ「世界最高の知性」と賞賛されるハーバードの教授陣の中に,アメリカの歴史ではなく,日本の歴史のコンテンツによって学生に「気づき」を与えることができた人たちがいるのか。

 実は,本書で紹介されているコンテンツ自体は,日本でもありふれたものである。しかし,学生がそこから何を学んだのか,どういう反応を示したのか,という情報がとても役に立つ。

 「古代という時代を教える意義はない」と語る人間が,逆にその意義を知っているハーバードの学生から,「あなたに民主主義を語る資格はない」「あなたは頭が悪い」と自分がいつもやっている「罵倒方法」で逆につぶされる場面が目に浮かぶ。
 
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