「人によって態度を変えるのはよくない」
と教師が子どもに諭す場面はよくあります。
~先生のときと,~先生のときでは,授業態度が全く違う・・・・。
それは,ある意味「当然のこと」と思いながら,教師は最初の言い方で,
「お茶を濁すような指導」を行うわけです。
しかしよく考えてみると,
「教師の方こそ,人によって態度を変えているのではないか」
と子どもが主張したく なることもあるでしょう。
もし,「人間の隠れた才能を発揮するためには,いくつかの人格を使い分けるべきだ」という主張を本で読みましたが・・・と中学生が教師に問い詰めてきたら,何と答えてあげればよいのでしょう。
まずは,その「人格」とはどういうものをさすかを考えさせてみるといいですね。
そして,「学校」という閉じた空間の中では,その「人格」を本当の意味で開花させることは非常に難しいことに気づかせてあげられるかもしれません。
教師の側も同じことですが。
多くの教師は,相手によって,本当にいくつもの人格を見せていることが多いでしょう。
そして,多くの教師は,「多くの人格を生徒にも見せている人が,人望を集めていることが多い」ことにも気づいていることでしょう。
よく,「すごく厳しいけど,とても優しい先生」という子どもからの評価を受ける教員がいます。
「すごく真面目だけど,とてもよいはじけ方をする人」という大人からの評価を受ける教員がいます。
「いつでも明るい」「いたって真面目」という評価は,むしろ「いいところがそれしかない」という意味での「低い評価」の表われである可能性を否定してはなりません。
教師たちも,多重人格をマネジメントし,さまざまな人格を開花させることで,「豊かな人間性」も開花する,と解釈してみてはいかがでしょう。なぜそう言えるのでしょう。
著者が対談で語っている理由は,次の3つです。
>第一の理由は,「相手を理解し,相手の気持ちが分かるようになる」から
>第二の理由は,「相手の状況や心境に合わせて,適切な人格で対処できる」から
>第三の理由は,「多重人格のマネジメント」を実践すると,自分の中に「様々な人格」が開花するだけでなく,自然に,それらの人格を静かに見つめている「もう一つの人格」,すなわち,「静かな観察者」が生まれてくるから
教育ブログには,「自分を静かに観察できない」ためか,やたらと汚れた言葉で満載の記事をUPし,自分が批判しているのが自分自身であることに気づけない人が見えます。 統合失調症のことにやたらと詳しいようですが,この「才能開花」につながる「多重人格」の話はどのように受け止められるのか,興味があります。
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