教育失敗学から教育創造学へ   (読書編) ~子どもの教育に情熱をかける人々のために~ 

小学生と大学生の親です。 このブログでは,読書から得られた発見や視点を中心に,子どもの教育について考えていることを書き綴っていきたいと思います。

未来をネタに現状をこきおろす人たちに



 まずは出版社の方に,比較的廉価に抑えてもらったことへの感謝をお伝えしたい。
 
 内容については,新井教授が学会をこき下ろすくだりがまず印象に残った。発言者がだれかは示されていないが,参加者の質問から,学会全体の評価を下すあたりから,どういう人物なのか評価できた。「自分の仕事はここまでです。あとはだれかの仕事です」という人間が多い,と嘆いている自分が嘆くべき人間の一人であるという自覚が感じられない。また,男性はこう,女性はこうだ,とステレオタイプで語る癖があるようだ。

男性の研究者から見ると理解不能だろうと思う。

 女性には,「すべての女性は私と同じ考え方をもっている」と思い込む癖があるのだろうか。実際はそんなことはないだろう。もし,本当にそうであれば,従業員や管理職に占める女性比率が低いことは,合理的な選択の結果になるかもしれない。

 新井教授のような女性が活躍する社会を期待することは正しい。ただし,男女にかかわらず,「活躍する」ことが大切である。「ただいるだけでも意味がある」のは「政治的な正しさ」の話で,組織が崩壊する原因になる可能性もある。

 ぐっちーさん(山口正洋さん)の共通点は,地方をよくご存じだということだろう。

 ぐっちーさんは

正直,普通に大都市のサラリーマンを卒業した50代以上の方で,「使える」方は,ほとんどいません。新幹線の切符すら自分で買えないというレベルの人がごまんといるわけです。

 と私の知らない,おそらくは「地方」の現状を嘆いていらっしゃるようだが,だからこそ「自分が役に立つ」環境が地方にはある,ということなのだろうか。

 「教科書すら読めない(文章読解力がない)人間がたんさんいる」「自分が開発したロボット以下の学力の人間がたくさんいる」という事実を世に広めている新井教授と気が合いそうな人物である。

 日本のリアルは悲惨である。その悲惨なリアルを隠そうとする人間が多い。ダメなやつらばかりだ。

 一度,アメリカのリアルとの比較を論じてみていただきたい。
 
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文科省をこきおろしている大学のセンセイへ

面従腹背
前川 喜平
毎日新聞出版
2018-06-27


 ビートたけしのように「生き生き」している70代もいれば,私のように「死にかけている」50代もいる。「『さみしさ』の研究」(小学館新書)の中で,たけしは「人は年をとればいろいろと不自由になっていくものだ」という趣旨のことを繰り返し述べている。弱みは弱みとして自覚した上で,かけがえのない強みで生きていく。それは行政マンとしても,教員としても,同じことである。

 『面従腹背』の中で,道徳教育の教科化とその経緯について,前川氏はわかりやすくまとめてくれているが,文科省がその強みを生かして「守りきったもの」に関する記述もある。

 小学校では今年度から始まっている,中学校では来年度から始まる「検定教科書付き道徳」には,実は「最後の防波堤」が効いている。このことに気づいたのは,恥ずかしながら『面従腹背』のおかげだった。

 普通に考えて実現は不可能である「主体的・対話的で深い学び」という新学習指導要領の趣旨には,国による教育支配に対する「最後の防波堤」という役割を期待することができる。

 文科省をこきおろしているある大学のセンセイにも教えてあげたい。

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モンスターボランティアをつくった戦後の道徳教育

「さみしさ」の研究 (小学館新書)
ビートたけし
小学館
2018-11-30


 「スーパーボランティア」尾畠春夫さんに触発されてか,全国で「にわかボランティア」が増えているらしい。助けるよりも,むしろ迷惑をかけてしまう「モンスターボランティア」もいるらしい。
 
 「善意を受け付けない人間はいない」という誤った人間観は,道徳の授業でも扱われる浅い「思いやり」学習がもとになっている。

 「ボランティア=素晴しい」「思いやりの心=道徳的だ」などという一面的な解釈が当たり前になってしまった責任の一端は学校教育にもある。

 「ありがた迷惑」を通り越して,ただひたすら「迷惑」になるようなわがままな「善意の行動」は,自分が「善人であることを確かめる」「善人であろうとする」ことが大きな目標であって,困っている相手は,目標を実現するための「道具」でしかない。

>自己客観視できない老人ほど見苦しいものはない

 本来,「生き方を学ぶ」教育では,こういう価値観を育ててあげるべきである。 

>ふと思いつきでボランティアに手を出して,「自分も何かやって褒められたい」「人助けをしていい気持ちになりたい」と考えているようなヤツとは覚悟も気構えも違う。なかでも一番違うのが,自分が役に立つのか立たないのか,冷静に判断できる力なんだよな。

 教育現場の場合は,自分の無力さに気づかせるために,むしろ相手に迷惑がかかることはわかっていただいて,「ボランティア」を強制する(カリキュラムの中に,「ボランティア」活動を入れて無理やりやらせてしまう)という方法はあると思われる。それは「奉仕の精神」を育てるためではなく,「自分を知る」ための活動である。

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