私の父と母は,正反対の教育方針をもっていることがわかったことがありました。
父は,
「どんなに熱があってつらくても,学校に行け」
という考えの持ち主。
よくわからない理由は,「死ぬことはないから」。
母は,
「行きたくないのなら,休んでもいいよ」
ということが言える。
父がいないときに,母がその教育方針を実践できたことがありました。
早い話が,私が学校を休めたときがありました。
遅刻や欠席にやたらとうるさい「担任の代理の先生」がいて,
お母さんが亡くなった後,小さい子のめんどうを見ているため,ときどき遅刻してくる子を,全員の目の前で叱るのを聞いて,本当に気分が悪くなった経験がありました。
「おれは遅刻してくるやつは人間として信頼できない!」
私は,家族として妹と弟のめんどうをみている同級生の方が,その先生よりもはるかに人間らしく思えました。
機械の歯車のように人間を考えて,
「お前のせいで俺のアルゴリズムが狂う」とでも言いたげなその教師は,本当は担任がもてない問題教師だったことがあとでわかったのですが,私の担任が急に入院されたので,教壇に立つことになってしまったのです。
「学校を休みたくなる子ども」は,
たくさんいます。
理由も,さまざまです。
友達同士ではその先生の悪口を散々言っている子が,先生の前に出るとおべっかばっかりつかっている・・・・つまり,先生にウソをついている子が一番先生に信頼されているのが,嫌で,学校に行きたくなくなる子もいるでしょう。
学校には,「皆勤賞」みたいなのを出す風習が残っているので,本当に体調が悪いのに無理して学校に行く子どもがいました。
インフルエンザだと出席停止扱いだから,欠席にはならないのに,「本当の意味の皆勤賞は,学校を一日も休まないことだ」なんていって,風邪だと嘘をついて,学校に出てきてみんなに感染させてしまう子もいました。
子どもを親が本当の意味で信頼しているのであれば,
「この子も不登校になるのか」などという不安は隠して,
「休みたいときは休みなさい」と言えるようになりたいものです。
でも,ヘンな教師がいたら,そっちにも気をつかわなければならないので,考えものです。
父は,
「どんなに熱があってつらくても,学校に行け」
という考えの持ち主。
よくわからない理由は,「死ぬことはないから」。
母は,
「行きたくないのなら,休んでもいいよ」
ということが言える。
父がいないときに,母がその教育方針を実践できたことがありました。
早い話が,私が学校を休めたときがありました。
遅刻や欠席にやたらとうるさい「担任の代理の先生」がいて,
お母さんが亡くなった後,小さい子のめんどうを見ているため,ときどき遅刻してくる子を,全員の目の前で叱るのを聞いて,本当に気分が悪くなった経験がありました。
「おれは遅刻してくるやつは人間として信頼できない!」
私は,家族として妹と弟のめんどうをみている同級生の方が,その先生よりもはるかに人間らしく思えました。
機械の歯車のように人間を考えて,
「お前のせいで俺のアルゴリズムが狂う」とでも言いたげなその教師は,本当は担任がもてない問題教師だったことがあとでわかったのですが,私の担任が急に入院されたので,教壇に立つことになってしまったのです。
「学校を休みたくなる子ども」は,
たくさんいます。
理由も,さまざまです。
友達同士ではその先生の悪口を散々言っている子が,先生の前に出るとおべっかばっかりつかっている・・・・つまり,先生にウソをついている子が一番先生に信頼されているのが,嫌で,学校に行きたくなくなる子もいるでしょう。
学校には,「皆勤賞」みたいなのを出す風習が残っているので,本当に体調が悪いのに無理して学校に行く子どもがいました。
インフルエンザだと出席停止扱いだから,欠席にはならないのに,「本当の意味の皆勤賞は,学校を一日も休まないことだ」なんていって,風邪だと嘘をついて,学校に出てきてみんなに感染させてしまう子もいました。
子どもを親が本当の意味で信頼しているのであれば,
「この子も不登校になるのか」などという不安は隠して,
「休みたいときは休みなさい」と言えるようになりたいものです。
でも,ヘンな教師がいたら,そっちにも気をつかわなければならないので,考えものです。