教育失敗学から教育創造学へ   (読書編) ~子どもの教育に情熱をかける人々のために~ 

小学生と大学生の親です。 このブログでは,読書から得られた発見や視点を中心に,子どもの教育について考えていることを書き綴っていきたいと思います。

アメリカの秘密~アメリカ文化55のキーワード



 極貧から大金持ちへ・・・少なくとも,今よりよい生活へ・・・
 
 アメリカは日本とは違う意味だが「神の国」を体現しているようなところがある。

 なかなか叶わない夢ではあるのに,どうしてアメリカは他国民にも「夢」を提供できるのだろう。

 なぜアメリカ的な価値観が,世界中の人々にとっても「標準」になっているのだろう。

 独立から100年が経った1870年代はまだ,小説家に「アメリカには何があるのか。あるのは国名だけだ」というため息をつかせた時代だった。

 「ヨーロッパにあってアメリカにないもの」ばかりだった。ただ,そのことが,アメリカの文化的独立の原動力になっていった,という考え方があるらしい。ちょっと日本の明治維新に似ている。時期も近い。もちろん,日本はモノ真似を,アメリカは独自性~ネイチャー(自然)のなかにあるものを追求する,という真逆の姿勢をとった。そのためか,100年も経たないうちに日本はアメリカに敗れることとなる。

 『華麗なるギャツビー』(1925年)のように,「夢」は「夢」に過ぎないことをアメリカ自らが示すようなこともある。「夢」が描けたことだけでもすごい,という考え方もある。当時でもかつての貴族のような位置に立つことができた人々は,もとは貴族ではなかった人々である。ただ,それはほんの一握りの人々であり,今頃になって「ウォール・ストリートを占拠せよ」(2011年)といった動きが出始めている。

 1930年代,あのアメリカでも,マルキシズムに影響された思想の浸透が見られ,『レフティを街ながら』という戯曲,スタインベックの『怒りの葡萄』といった作品が登場する。

 中国では自国の歴史で教えず,「闇に葬る」つもりの事件があるが,同じようなことをアメリカは民間の警備会社を使って労働運動を排除したこともあった。

 アメリカと世界の国々と共通点の探そうとしても,なかなか見つからない。

 親しみがある割には,アメリカのことはわかっていない。

 そこがアメリカらしさであり,アメリカが「わからない」理由の一つかもしれない。

 「アメリカのことがわかった!」と思える本は,橋爪大三郎先生と大澤真幸先生の対談本,『アメリカ』(河出新書)であるという(橋爪先生から直接お聞きした。)。

 これから読んでみたい。

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ゴーン?仮定法過去完了?攘夷運動?



 どこがどうなっていたら,逮捕は避けられたのか? 

 まだ世界で起こっている大きな自国民(の政権支持者)優先主義の流れを傍観しているのが日本だが,いずれ,相変わらずの「攘夷運動」が沸き起こってしまう危険性を感じている。



 公営事業が民営化,それも外資に売られる時代がやって来る段階で,日本人の目が覚めてしまい,「手遅れ」なのにまた時代を逆戻りさせる動きが加速する恐れがあると思われる。

 今回のゴーン氏の逮捕の背景には,「日本企業が植民地支配を受けていることへの抵抗」という見方があるらしい。グローバル化・自由化は,強者が弱者を食いものにする仕組みであり,弱者にとって有利な考え方である「公正さ」が重要視されるようになると,今のアメリカのような姿になる。

 ゴーン氏は容疑を否認しているそうで,「司法」へと注目が集まる土壌ができた。「司法」は「自由」ではなく,「公正さ」を看板に掲げているはずだが,「独立性」には疑問があるだけに,成り行きには興味もある。

 「司法取引」のメリットやデメリットについても,国民の関心が高まるだろう。

 「司法取引」は,だれにとって都合のよい仕組みなのか。「取引」がうまくいけば,刑が軽くなるという犯罪者にとってのメリットは,犯罪の増加につながらないか。

 いくらでも「狙い撃ち」が可能になるのではないか。どっちにしても,恐ろしい時代になった。

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エビデンス重視の教育政策が生むモノ



 エビデンス,エビデンス,と何とかの一つ覚えの大合唱が始まった。

 学校における儀式的行事が大切であることを示すデータ=エビデンスがなければ,いずれフランスのような学校になる。

入学式や卒業式などの儀式的な行事,制服や校歌,また生徒会活動やクラブ活動がないことである。フランスでは学校は何よりも学科を教えるところなのだ。

 「フランスの教師は楽勝だ」という学生が増える。塾のおかげで大学に入ってきたそういう学生に特別活動の意義を教えるのは難しい,だから,もうそんなものはなくしてもらおう,という大学の教員が増える。お友達の行政マンが,本当に「なし」にしてしまう。悲しい未来予想である。

 子どもにも,進学や進級に値するエビデンスが求められると,何年経っても進級できない子どもが登場してくる。「落第・飛び級がない」日本の教育システムが優れているというエビデンスはどこにあるのだろう。

 バカロレアはすでに日本でも真似しだしているが,その成果を示すデータを見てみたい。

 ところで,英語の学力調査で,「話す試験」が導入されることになっている。
 
 パソコンに差したUSBメモリに録音したデータを入れるらしいが,40人が同時に音声を吹き込むと,どういうことになるか,想像できるだろうか。外の音が完全に聞こえないヘッドホンを用意する必要がある。そして,そのデータを分析して得点をつけるために,何人の採点者をどれくらいの時間,いくらくらいで雇うのだろう。業者に発注してもよいのだが,業者がアルバイトを使って採点したデータの信憑性はだれがどのように保証するのだろう?
 
 子どもが話し合ったり聞き取ったりするデータをすべて集めて保存し,成績を加味したAIが「最も優れた動き方」を示せることになるという。いずれ子どもたちは,AIの言いなりに動くロボットになっていくらしい。

 単純に数値化できないものが多いことが人間らしい営みなのだが・・・。データ化されたものがやがて一人歩きする時代になる。そんな時代の子どもは本当に気の毒である。


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