極貧から大金持ちへ・・・少なくとも,今よりよい生活へ・・・
アメリカは日本とは違う意味だが「神の国」を体現しているようなところがある。
なかなか叶わない夢ではあるのに,どうしてアメリカは他国民にも「夢」を提供できるのだろう。
なぜアメリカ的な価値観が,世界中の人々にとっても「標準」になっているのだろう。
独立から100年が経った1870年代はまだ,小説家に「アメリカには何があるのか。あるのは国名だけだ」というため息をつかせた時代だった。
「ヨーロッパにあってアメリカにないもの」ばかりだった。ただ,そのことが,アメリカの文化的独立の原動力になっていった,という考え方があるらしい。ちょっと日本の明治維新に似ている。時期も近い。もちろん,日本はモノ真似を,アメリカは独自性~ネイチャー(自然)のなかにあるものを追求する,という真逆の姿勢をとった。そのためか,100年も経たないうちに日本はアメリカに敗れることとなる。
『華麗なるギャツビー』(1925年)のように,「夢」は「夢」に過ぎないことをアメリカ自らが示すようなこともある。「夢」が描けたことだけでもすごい,という考え方もある。当時でもかつての貴族のような位置に立つことができた人々は,もとは貴族ではなかった人々である。ただ,それはほんの一握りの人々であり,今頃になって「ウォール・ストリートを占拠せよ」(2011年)といった動きが出始めている。
1930年代,あのアメリカでも,マルキシズムに影響された思想の浸透が見られ,『レフティを街ながら』という戯曲,スタインベックの『怒りの葡萄』といった作品が登場する。
中国では自国の歴史で教えず,「闇に葬る」つもりの事件があるが,同じようなことをアメリカは民間の警備会社を使って労働運動を排除したこともあった。
アメリカと世界の国々と共通点の探そうとしても,なかなか見つからない。
親しみがある割には,アメリカのことはわかっていない。
そこがアメリカらしさであり,アメリカが「わからない」理由の一つかもしれない。
「アメリカのことがわかった!」と思える本は,橋爪大三郎先生と大澤真幸先生の対談本,『アメリカ』(河出新書)であるという(橋爪先生から直接お聞きした。)。
これから読んでみたい。
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