昨年お会いしたときはお元気そうだった有田先生ですが,今年(2014年)の5月にお亡くなりになりました。
私自身は一度も授業を拝見したことがありませんが,著書の多くは中学校で社会科を教える上でも参考になったので,拝読させていただいております。
小学校の教師は,教育実践にあこがれることはもちろんですが,実践を行っている有田先生のような個人にあこがれるといった傾向が強いようで,この本(内容は,日本図書文化協会『指導と評価』の連載が再掲されてるもの)もファンが有田先生から学んだことが紹介されています。
小学校の教師は,学校現場では「町の商店街の店の社長」のようなところがあって,けっこう孤独な思いをしている人が多いのだろうと想像できます。職員室より担任してくる教室の自分の机の方が落ち着く,という人も少なくないのでしょう。
有田先生の授業は,教師が参観して楽しめるような「内容」だったことが,魅力の一つであることが読むとよくわかります。「小学校では何を学んだのだろう」と不思議な思いを抱く中学校教師からみると,テレビのクイズ番組で楽しんでいるような子どもたちを想像すると,なるほどな,と感じてしまうのです。
私が残念に思うことは,有田先生の目線の先にある「ネタ」は,小学生というより大人が「なるほど」とうなるようなものが多く,有田先生のようなベテランでないと浮かんでこないような発想が多いのと,教科書通りに学ぶのは大嫌いという子どもが対象でないと,なかなか成立しないのという難点です。
この本では「有田実践を追試」した先生がいらっしゃるようですが,有田先生ご自身は,「人の真似」をすることは大嫌いでした。有田先生から叱られたという先生のお話も聞いたことがあります。
ですから,「ご自分の真似」をされることは本当は好まなかったことであり,「ネタは自分で考えろ」というメッセージが先生の最も重要な「ご遺言」だと私は思っています。
20~30年たっても,「有田先生のような先生」が生まれないのはなぜでしょう。
有田先生が教えているのは「姿勢」であり,「内容」ではないのです。
それは,教師は他人が「育てることができない」存在だということを有田先生ご自身がわかっていたからかもしれません。
ここに,私がかつて本編で記した文章を引用します。有田先生は,「未来を生きる子ども」や「未来の教育を変える人間」を育てていらっしゃったのだと,私は思っています。
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「浅い思考」と「深い思考」の違い(2013年11月1日)
人が成功するか,失敗するかの違いは,どうして生まれるのか?
その人のもつ「運命」か?
まわりの人たちの「環境」「関係」か?
あくまでもその人の「能力」か?
たぶん,そのうちのこれしかない,ということではないだろう。
「定石どおり」の攻め方ばかりをすると,相手もその「定石」を踏まえていれば
すぐにばれてしまうから,
どこかで「意表を突く」こともしなければならない。
相手を混乱させることも,戦いでは「定石」となる。
ここでは孫子の兵法にじっくりふれたいところだが,今日はやめておく。
「定石」とは,こういうことだ,と読んで字のごとくにうけとる「浅い思考」をしているうちは,
まだまだ「達人」の域にはほど遠いということである。
「深い思考」とは何か?
それは,まずは成功するか,失敗するかの違いはその人の「思考」のあり方が決めている,
という認識を出発点にして, 「多くの人がよしとしていること」にも
疑問を投げかけられるような態度が必要である。
これは,特に教師にとって必要な資質・能力であると考えている。
小学生が,ある独創的なアイデアを思いつき,それを教師が
「そういうことは,これこれこういう理屈に基づいて言えば,間違いですよ」
とたしなめてしまったとする。
その子どもにとっての成長の芽は摘み取られてしまったかもしれない。
しかし,「それは間違いですよ」というのをためらいもなく子どもに投げかけてしまうタイプの教師は少なくない。
多くの子どもは,教師たちの無自覚によって,「浅い思考」・・・・特に,教師に気に入られるか,教師に認められるかどうかを基準にする・・・しかできなくなっていく。
大人も,「浅い思考」の典型的な話しかしないから,子どもは「思考とはそういうものだ」と思い込むようになってしまう。
教師の資質能力,態度,表現は,子どもの将来を大きく左右しかねないものである。
私たち教師は,自分がいかに子どもの成長の芽を摘んでしまっているか,いつでもふり返って「思考」する癖をつけておかなければならない。
世の中は,「定石」が通用しない社会にどんどん移行していく。
先が長い子どもたちには,そういう社会を生き抜くための「定石ではない定石」を教えてあげることが大人のつとめである。
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有田学級の子どもたちは,「有田先生が喜びそうな答え」を探すのに慣れていきます。
それは,「普通の先生が喜びそうな答え」とはかなり異なるものです。
一般の教師から見れば,「大きく的を外している」子どもが高い評価を受けるので,特に中学校の教師からすると,「もったいない」の一言に尽きる授業も多いのです。
子どもたちにとっては,有田学級しか経験していないと,小学生としての基礎・基本を学ぶことができずに卒業し,進学後に苦労するという宿命が待っています。
しかし,それは,「小学校としての基礎・基本とは何か」という大きな問いを示し続けてくれたという点で,先生は偉業をなされたと言えるのだと思います。