教育失敗学から教育創造学へ   (読書編) ~子どもの教育に情熱をかける人々のために~ 

小学生と大学生の親です。 このブログでは,読書から得られた発見や視点を中心に,子どもの教育について考えていることを書き綴っていきたいと思います。

2015年09月

念力主義と揶揄されない外交努力とは~週刊東洋経済



 マイナンバーの特集ですが,注目したのは佐藤優のコラムです。

 「日本のロシア外交は念力主義で戦略なし」

 ・・・・念力主義という言葉は,日本の歴史を知っている人・・・・中学校の歴史の教科書くらいの本を読んだことがある人(ということはすべての人という意味になりますが)なら,「ああ,あのことか」という事例がいくつか思い浮かぶのではないでしょうか。

 代表的なものは「モンゴル襲来」ですかね。「念力によって大風を吹かせ,元軍を撃退した」ことによって恩賞を授けられた人々がいたわけです。

 次に思い浮かぶのは日米開戦を選択した人々でしょうか。もちろんこちらには,開戦を防ぐために努力した人々がいたことを忘れてはならないのですが,

 「日本を存続させることが最も大事」というだれも反論できない信念から,

 「そのためには~しかない」という論理的なつながりがない結論にジャンプしてしまった事実には変わりはありません。

 「四島を返還してもらうことが最も大事」という信念の次が,

 「プーチンとの首脳会談を絶対に実現させる」では,切り捨てられるものの多さを考慮していないのではないか,と疑われても仕方がない。

 「願い」は共有されています。
 
 しかし,「願えば叶う」というフレーズは,勇気をもたせてくれる言葉ではあっても,本当にそうなるとは限らない。当たり前のことですが。

 やる気をもつことは大事だけど,必ず「どうすれば願いが叶うのか」「願いを叶えるためには何をどうやって進めていったらいいのか」という「戦略」が必要になります。

 その「願うこと」「信じること」は「戦略」ではない。

 今,アメリカが警戒しているイランとロシアの動きを,ある国に対する働きかけを示しながら説明しなさい,と問われたら,何と答えますか。

 なぜ日ロが接近することをアメリカが警戒しているのか。

 米中の力関係がどうなっているのか。

 国際情勢をわかりやすく説明してくれたおかげで,

 本当に世界の動きをわかった上での外交を日本はやっているのか?

 という疑問が浮かんできます。

 国民が国際情勢を知らないうちは,そのような批判を受けることはないのです。


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真性・ブラック企業判定法~「レジリエンス」の鍛え方



 レジリエンス・・・「復元力」「逆境からの回復力」を育てる学校教育について,本編で考えていきますが,この本の中で,レジリエンスの技術を習得する前提として,「失敗を怖れない方法を知る」というプロセスがあり,そこで紹介されていた内容に少しだけふれておきたいと思います。

 学校ではそういう教育をしていないはずですが,もしあてはまる内容があったら,そこはブラック学校であり,成長が望みにくい環境だということになります。

  失敗を怖れると,人間は成長しにくくなる。

 最も避けたいのは,無力感に襲われてしまうこと。

 この無力感というのは,「学習性」がある=「人から植え付けられてしまうおそれのあるもの」だということです。

 ブラック企業が従業員のやる気を失わせるメカニズムとは・・・・

>① 従業員が不快と感じる職務(たとえば過剰労働)を任せる

>② 自分ではこの状況を変えることはできないと認識させる

>③ 将来もこの不快な職務状況は続くだろうと考えさせることで悲観的な思考が生まれる

>④ 将来も自分のおかれた状況をコントロールできないと認識させる

>⑤ 従業員が職場での無力観を学習してしまう

 ・・・ある角度から見たら,どんな企業でもブラックになってしまいそうな気もしますが,

 人材育成を重視している企業は,その真逆を行っているという話でしょう。

 少し恐ろしいのは,学校がまさに「学習性無力感」を植え付けている元凶だ,と考えることも不可能ではないことに気づいてしまったことですが・・・。

  「どうしたら簡単には折れない強くしなやかな心が手に入るのか」

 その答えを知りたい人は少なくないでしょう。

 「現状を変える」とはどういうことか。
 見方や考え方が変わるだけでも人間は成長できそうな生きものです。

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変わったもの・変わらないもの~超・反知性主義入門

超・反知性主義入門
小田嶋 隆
日経BP社
2015-09-15


 「反知性主義」という言葉の本来の意味は,巻末の森本あんり氏との対談の冒頭で簡単にまとめられています。

 反権威主義という言い換えが,私の中では最もしっくりしています。

 内田樹や佐藤優が使っている「反知性主義」は,反安倍政権という言い換えが最も近いかもしれません。


 著者と森本あんり氏が小中高12年間の同級生だったというのは驚きです。

 それも,高校は都立高校です。一貫校の同級生とは違います。


 さて,著者は大学入試改革に関する話で,自らの都立高校での生活をふり返っています。

 内田樹も書いていたような気がしますが,当時の都立高校は本当に自由だったらしい。 

 著者は「放牧場」と表現しています。

 高校の話に関連して,多くの人が自分が出た高校(公立の共学とか,私立の男子校,女子校のようなくくりで)と同じような環境の学校に子どもを通わせたいと考えている人が多い,という主張をしています。

 
 後悔される方がいないように,ここで少し,私が知っていることを述べておきたいと思います。

 今,進学を重視した都立高校は,手厚い大学進学指導を行うことを売りにしています。

 かつての「自由で伸び伸び」の雰囲気をもっている高校は,もうごくわずかになっている。

 どうしてもそれを望むなら,大学進学の期待をかけられていないレベルの高校に志望を変える必要があります。

 
 現在,人気のある都立高校というのは,業者の模試を繰り返し実施し,お互いに偏差値を競い合っています。

 ですから,国語や数学,英語の教師は,生徒の偏差値に戦々恐々とさせられている。

 当たり前のように,模試の点数が高くなるような授業をするようになるでしょう。

 私のイメージは,業者テストが廃止される前の中学校と同じような学校です。

 
 大学入試制度が変わり,高校2~3年生のときに受ける到達度テストの結果が大学進学を左右するというのは,紛れもなく,過去に廃止された中学校での偏差値教育に他なりません。

 変えるべきことを変えず,変えるべきでないことを変える。

 こうした判断ミスは,どこからくるのでしょうか。

 著者のつぶやき。

>センター試験が良いものであるのかどうかは別にして,ある種の人々の中にある「絶えざる変革が,現状を改善して行く」という思い込みがどうかしていると思う。われわれの世界の基礎的な部分は,「変わらないこと」によって保たれている。

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教師をどう評価するか~困難な成熟



 成果主義的な個人の格付けをすることによって,能力があり,実績をあげた教師を高く評価し,待遇をよくする・・・そういう希望を自ら告げていた教師ももしかしたらいたかもしれません。

 しかし,学校における教育活動は,たとえ教科指導の場面であっても,教師一人だけによるものではありません。

 実際にその場面にいるのは一人でも,学校の教育課程に基づいて,教科の教師,学年の教師などが決めた方針のもとに教育を行うわけです。

 特に荒れた学校の場合は,スーパーマンの抑え技よりも,地道で組織的な行動が教師に求められます。

 私が以前,教員の人事考課について本編で述べたときも,「組織をどう動かしたか」「組織でどのような働きができたか」をできれば360度評価も活用して判断すべきと述べました。

 内田樹の主張には,以下のようなものがありました。研究者や政治家などの「嘘」をテーマにした論考の一部です。

> 学術というのは本来集団の営為です。「学術共同体」という多細胞生物の一部として研究者は働く。最優先するのは「共同体としてのパフォーマンス」を高めることであって,個人の業績や成果を誇示することではありません。しかし,ある時期から「共同体のパフォーマンスを上げるためには,個人を成果主義的に格付けして競争させるのがよい」という話が流布し,それをみんなが信じるようになりました。「自分さえよければ,それでいい」というマインドが瀰漫すれば,自分の業績を誇大に示し,他人の業績を矮小化しようとするのは当然のことです。

 理系の人間たちは文系の人間を見下しやすい位置にいるといえます。

 それを煽っているのが文科省であり,政府です。

 すぐカネになる木を育てる人材をつくらなければならない,という切迫感にかられると,

 文系より理系にカネを投下した方がよさそうだな,という短絡的な発想で動いてしまう。

 短期間の成果を求める仕組みが,データ改ざんのような研究不正を助長させていることの因果関係の証明は難しいかもしれませんが,容易に想像できることです。

 「司法試験の合格率を少しでも上げる」ためには,

 問題を教えてしまうのが一番手っ取り早い。

 日本に本当の「法的思考」が根付かないのは,大学の教師の本質的なレベルが低いからでしょうか。 

 人間的な成熟を困難にしている何かが,日本にはあるのでしょうか。

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修羅場経験で人は育つ~しなやかに心をつよくする音楽科の27の方法



 「修羅場」という言葉を聞いて,まず最初に思い浮かぶ場面は何でしょうか。

 子ども時代に「夫婦げんか」を間近で見たことがある人は,

 「あれこそ修羅場だった!」とふり返ると同時に,

 「雨降って地固まる」という言葉を覚えるきっかけにもなった,と思われるかもしれません。

 残念ながら,「修羅場」が「最後のとき」だったという人も・・・。

 
 さて,この本の最後の話に,指揮者やコンサートマスターの育成法が紹介されていました。

 教師の育成法も同じなのですが,「これこれこういう知識を身につけておけばよい」という教え方は成立しないことは,教員養成系の大学を出て教師になり,学級崩壊を経験している人を例に挙げるまでもなくご理解いただけるはずです。

 経営学を学ぶだけで,失敗をしない立派な経営者になれるとは限りません。

 指揮者やコンサートマスターも同じようなものだと著者は述べています。

 説得力があるかないかはわかりませんが,

 ヘルベルト・フォン・カラヤン

 レナード・バーンスタイン

 アルトゥール・トスカニーニ

 ヴィルヘルム・フルトヴェングラー

 という4人の大指揮者は誰一人として大学の「指揮科」は出ていない。

 という以前に,音楽大学すら出ていない。

 プロ野球の世界でよく使う言葉に「叩き上げ」「生え抜き」の選手というのがありますが,

 音楽の世界でも全く同じだと。

 「エリートコースは秀才の墓場」という言葉はさすがに刺激的ですが。

 「現場叩き上げ」が唯一最大の指揮者人材の育成法だといいます。

 次のような音楽の話も興味深く読みました。

>指揮者というのは,実はお客さんなんですね,オーケストラにとって。オケの団員でもないし,本番中楽器を演奏するわけでもない。この「棒振り」とは別に「音を出すいつものオーケストラ・メンバー側」で,演奏の要となるべき人が必要なわけです。これが「コンサートマスター」です。

 ハッキリ書きますが,指揮者なんていなくても多くの作品を楽団は演奏出来ます。指揮者は一つも音を出しません。

 ドラマやバラエティでタレントが指揮台に立ってコンダクターの真似をしても,なんとか演奏が演奏になるのはコンサートマスターがシッカリしているからで,ここだけの話ですが,楽員諸氏は努めてタレントを見ないようにし,コンサートマスターのヴァイオリンの弓の先などに注意しています。

 逆に,コンサートマスターがおかしいと,オケは完全に瓦解します。


 私の初任校は,CDがかかっているような演奏をする吹奏楽部がある中学校でした。

 カリスマ顧問が異動してからも,吹奏楽部が成立していた理由がよくわかりました。

 なぜカリスマ顧問と呼ばれていたのかも,よくわかりました。

 指揮よりもはるかに重視していた指導があったわけです。

 ある吹奏楽部の顧問は,名門校で自分が指揮者をつとめたときだけコンクールの賞をのがしてしまいましたが,それは指揮者のせいだけではなかったかもしれないということです。

 心がしなやかでないと,自分の取り柄(らしきもの)しか主張できない人間になってしまうこともよくわかりました。


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