教育失敗学から教育創造学へ   (読書編) ~子どもの教育に情熱をかける人々のために~ 

小学生と大学生の親です。 このブログでは,読書から得られた発見や視点を中心に,子どもの教育について考えていることを書き綴っていきたいと思います。

2016年02月

ソーシャル・モビリティ(社会階層間の流動性)の国際比較~脳・戦争・ナショナリズム



 本編のドーパミン,セロトニン,アドレナリンの話は,この本で紹介されていたものです。

 中野信子さんが紹介しているソーシャル・モビリティ(社会階層間の流動性) の国際比較は次の通りです。

>親と同じ階層に子がいる確率は,アメリカでは0.47。これは階級社会であるといわれる英国の数値0.50とほぼ同じです。

 一方,日本は0.34。民衆が革命が起こし,共和制をとっているフランスの0.41よりも低いのです。つまり,日本の階層間流動性が高い。


 この話はどのような対話の流れで登場したかは・・・ちょっとご紹介しにくい内容です。興味のある方は本書をお読み下さい。

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2020年の大学入試問題



 ちょっと前に出された『2020年激変する大学受験!』(学陽書房)と比べると,はるかに内容が濃く,実際の「大学受験」がどのように変化するのか(実際には,すでにどのような問題が出題されているのか)がわかります。

 大学の教師が書く本より,よほど切実感があり,中学校・高校の現場での実践も行っている方が紹介している内容は,示唆に富んでいます。

 読み応えを感じたのと同時に,この変化は教育の質を向上させるというよりは,激しい混乱を招き,むしろ学校教育のレベルを押し下げる圧力になりそうな予感がじわじわと湧き出してきました。

 特に公立高校において顕著な現象としてあらわれるでしょう。

 授業参観をしてしまえば,「公立中学校よりレベルが低い」ことが,よりばれやすくなってしまうからです。

 「こういう受験に変わるのならば,やはり学校より塾で学んだ方が成果が上がりやすいだろうな」という印象を強くもたれる結果になるでしょう。

 塾や予備校も激しい生存競争を繰り広げていますが,生き残りをかけているからこそ,本書のような内容には敏感に反応でき,高度な機動力で「実験」を繰り返し,より効果が高い教材を生み出すことが可能だからです。

 公立高校のように,つぶれる心配はない,教師が余計な苦労をしたところで,給料が上がるわけではない場所で,どれほど真剣に「正解のない問題」に授業で取り組ませることが可能でしょうか。

 基本的な想定は「小論文」のイメージでよいと思うのですが,「道徳」というより「倫理」の内容にかかわることをしっかり学び,自分の言葉で書けるようになった生徒が,よい成果を上げていきそうです。

 中学校では,「考える」道徳=「書かせる」道徳の時間を増やせば,2020年入試への対応力も増していくかもしれません。

 これまで「お荷物」扱いだった「道徳」の時間が,受験勉強の役に立つ,なんていう話を持ち出せば,今までとは違った「教科」として成立し,「受験問題作成」も夢ではなくなってきそうです。

 入試を担当した経験のある私でなくても,夢のような入試問題には,「だれもが納得できる評価が出せない」という最大の壁が待ち受けていることは容易に想像できるでしょう。

 かけ声倒れの予想は,すでに現実のものになってきていることもご存じだと思います。

 本書のタイトルの賞味期限は,案外と短いものかもしれません。

 もちろん,タイトルを変えることで,読み継いでいくことが可能な内容を備えていることも確かです。

 あとは,実践校の「成果」が待ち遠しい限りです。


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今頃「グローバル化」対応を急ぐ当たりが・・・台湾統治五十年

小説現代 2016年 03月号 [雑誌]小説現代 2016年 03月号 [雑誌]

 英語を話せるようにすることが大事か,英語の解釈を通して異文化に関する知識や思考力を伸ばすことが大事か。

 前者の方が注目されやすく,「だれにでもチャレンジできそう」「すぐに役に立ちそう」な雰囲気につられる人がいるあたりが,「グローバル化から日本が取り残されている」という意識をより強化してくれそうな状況になっています。

 英語が書けても,日本語と内容は同じなわけですから・・・。

 ビジュアル年表「台湾統治五十年」第十二回(及南アサ)では,第二次世界大戦勃発後のようすが描かれていますが,現代へと続く日本の歴史の流れを考える上で,心にとめておくべき一節があったので,やや長くなりますが引用したいと思います。

>温暖湿潤な島国で,しかも明治になるまで「日本」という意識さえ抱くことなく,藩ごとのしきたりの中でのんびり生きてきた日本人にとって,地続きの大陸で,絶えず征服と侵略を繰り返してきた国々や,裏切りや策略こそが生き延びる知恵であり,それぞれの国家にとっての「正義」なのだという感覚などは,まったくもって理解の外だったに違いない。常に敵と味方が離合集散を繰り返してきた民族は,日本人には及びもつかないほど強かだし,駆け引きがうまい。ところが,何しろペリーの黒船がやってきてから,まだ百年と経っていない日本は,世界の広さも他国の価値観も,外交に不可欠な腹の探り合いも根廻しも,そういった何もかもにほとんどまったく無知または不慣れなままで,とにかく突っ走ってきた。その結果,世界から手のひらを返され,呆然となった。

 「間が悪い」という言葉がありますが,このタイミングで「それ」が起きなければ・・・・この時期が「それ」でなかったなら・・・ということがいくつもあります。

 太平洋戦争に突入するとき,軍も含め社会の中心にいたのは,少年時代に日露戦争の勝利を経験した「血気盛んな」人たちでした。

 1940(昭和15)年は,皇紀2600年という節目の年でした。

 日中戦争の長期化は,戦争の論理の「後付け」が行われ,「日本は天皇がおさめる『神の国』である。天皇の徳を自国を治めきれない中国の人々のために広げていく」という論理が戦地の若者の共通の意識になりました。

 植民地台湾でも皇民化運動が進められ,「本当の日本人」をつくるために国語運動,改姓名などの改革が行われました。

  歴史学習というのはおそろしいもので,特定の価値観に結びつけるための方向付けが可能です。

 たとえば,台湾の人々の中には,進んで改姓名を受け入れようとした人々もいました。

 このことをどう解釈するか。

 もうすでに親の代から日本語を使用して育っているため,日本人としての意識が高まっていたからか。

 台湾人とわかる名前を使い続けると,理不尽な差別を受けるからか。

 生きていくために,日本人名を名乗った方が有利だったからか。

 社会現象というのは単純なものではありません。

 社会科で「わかりやすい授業」という印象を子どもが受けることが,非常に危険だという理由がここにあります。

 多面的・多角的なものの見方,考え方を養えることが社会科という教科の重要な存在理由です。

 引用した部分の「日本外交幼稚説」も,その文面通りに理解すべきかどうか。

 「今でもまだ幼稚だ」という批判はおいておき,歴史的に見て,本当に「他国の価値観を知らなかったのか」「腹の探り合いに失敗しているのか」など,検証できそうなこともあるようです。



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資質・能力を育成するとは?~資質・能力 理論編



 上記の本は,国立教育政策研究所の平成 26 年度プロジェクト研究調査研究報告書

 「資質・能力を育成する教育課程の在り方に関する研究報告書 1 ~ 使って育てて 21 世紀を生き抜くための資質・能力 ~」

 を単行本にしたものである。

 本を買わなくても,PDFファイル(136ページ)で見ることができる。

 下の図が,この報告で提案されている「学びのサイクル」で,似たような図を「習得・活用・探究」で見てきた私たちとしては,たったこれだけの図のために苦労されてきた方々の時間がお気の毒でならない。

 これから各地の研修会等で教科調査官や指導主事が多用する図になるものと考えられる。

  学びのサイクル


 枠の中に,社会科と総合的な学習の時間の学習活動例をあてはめたものが紹介されている。

秀吉


 想像

 従来から行われている「内容」と「学習活動」に一番右の「資質・能力」が加わってくるものだが,そもそも「資質・能力」というのは,この学習活動を行えば確実に身につきますよ,というレベルのものではない。

 いくつもの内容を学ぶ活動を積み重ねることによって,高めていくことが期待されるものである。

 だから「同列に3つが並ぶ」ことにはどうしても違和感をおぼえてしまう。

 一番右の3つの輪の表現も気になる。小さい方から

 「基礎力」「思考力」「実践力」と名付けられ,それぞれの知識の質として,

 「都道府県庁所在地の名称と位置を調べられる」のが「基礎力」,
 
 「なぜそこにあるかを説明できる」のが「思考力」,

 「移転するならどこがよいかを提案できる」のが「実践力」と例示されている。

 すでにここで異論がある。

 今はスマホに向かって「~県の県庁所在地の名前と位置を教えて」というと答えをしゃべってくれる。
 
 これが「基礎となる知識」と言えるだろうか。ICTに頼れればよいというものではない。

 いちいち地図帳を開いて調べなければわからない人を「知識がある人」とよぶには常識的に考えても無理がある。

 「なぜそこにあるかを説明する」必要は,どういうときに生まれるのだろうか。

 それは,「移転計画」が浮上したときに考えるようなものではないか。

 習得,活用,探究のときと同じだが,一方通行で説明できるものではない。

 「実践力」がためされる時点で,「思考力」が求められたり,「基礎力」をつけたりしようとするのが人間だろう。

 だから「実践」を入口にして,「基礎力」や「思考力」を鍛えていこう,とする考え方ならわかる。

 ただそれを意味するような図解にはなっていない。

 長くなるので本体のブログの方で整理していきたいと考えている。

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人と人,人と自然を結びつけるもの~和歌のルール

和歌のルール
笠間書院
2014-11-04


 この本を,和歌の修辞の解説書と解釈すれば,古文の「参考書」に分類されてもよいかもしれません。

 5・7・5・7・7だけの文字でつくられた和歌は,修辞を知らないと,「面白さ」も半減されてしまうかもしれませんが,小学校低学年の娘は,テープに流れてくる調子そのままに,お風呂でも和歌を詠んでいます。

 意味がわかっているとは言えない(百人一首の歌ですから余計に)のですが・・・。

 もともと和歌とは,どういうものであったか。

 なぜ為政者が和歌を学ぶ必要があったのか。
 
 「教養」だけが目的ではないことを教えてくれています。

 なぜ天皇陛下のご家族が和歌を詠んでご紹介してくださるのか。

 自然や人の心を表現されてきた和歌が,人と人とを結びつける高い価値のあるものであることが,長い歴史を通して語り継がれてきていることの意義も強く実感することができます。

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