教育失敗学から教育創造学へ   (読書編) ~子どもの教育に情熱をかける人々のために~ 

小学生と大学生の親です。 このブログでは,読書から得られた発見や視点を中心に,子どもの教育について考えていることを書き綴っていきたいと思います。

2017年03月

「半身」のいることの大切さ~「ヘンな人」で生きる技術



 うまく「ヘンな人」になることで,同調圧力が強い日本社会を生き抜けるようになる・・・

 対談本の中には,二人の息が合っておらず,どう読んでも失敗にしか思えないものもあるが,マツ☆キヨの組み合わせは大正解だったようだ。

 帯の写真には,まだ垢抜けない感じを残すマツコ・デラックスと,現在とほとんど変わらない生物学者の先生が並んでいる。

 学校や職場での「いじめ」を考える上で,「マイノリティ」=「少数派」から見える社会の姿を聞いておくことは,非常に大事だと思われた。

 やや長くなるが,池田先生の日本人観(おそらく多くの人が共鳴できる内容だと思われる)を引用する。

>みんなでやるとなったら,ひどいことも平気でする。でも,自分ひとりだけでやろうということには向かない。日本人の場合,他の人が何を言っても,自分の意見はこうだということが少ないのも,同じことなんだよね。それはやっぱり,他人に合わせるだけで,自分の頭でちゃんと考えていないということでもあるんだよ。
 大勢に乗っているときには,間違っても責任を取らないでいいんだもの。「みんなが言っていたからそれが正しいと思っていた」で話を済ませられるんだから。だけど,それと反対のことを言うためには,なぜそれが違うと思うのか,自分で根拠と理屈を考えて言わなければならないでしょ。
 メジャーな意見に賛成するのはとっても楽なわけだよ。「みんながそういうふうに言っていたから,自分はただそれを信じただけだ」と言って責任から逃れられる。
 そういう傾向がとても強いこの国で,大勢とは違う自分の考えを出すためには,なんとなく斜めにかまえていないといけないよな。正攻法で言っても相手にされないから,半身になってやる必要がある。


 集団によって始められた「いじめ」を止めることが,この日本ではいかに難しいかを実感できる内容ではないだろうか。

 「いじめ」を止めることができなかった傍観者を責める人も少なくないが,あなたが当事者だったら本当に止められるのかと・・・。

 逆に,「あいつはいつもヘンなことを言う子」という共通認識をされているものの,「いじめ」の対象にはならない,といった稀有な状況にある「ヘンな子」がいれば,その子による「これ,なんかおかしいんじゃない?」の一言で,「いじめ」は吹っ飛んでなくなるのではないか,という希望も持てる気がする。

 「ヘンな子」でないと,逆に「いじめ」のターゲットになるリスクが格段に高まるだろうが・・。

 特定の子どもを「いじる」空気は,教師の側が生成することもある。それが「いじめ」につながっていくのも,みんなが「風」を感じて流されていくから,という見方もできる。

 「自分の頭でしっかり考える力」を,学校現場ではどのように育成していくべきなのか。

 まずは,「自分の頭でしっかり考えていない状態」とはどんな状態なのかを実感させる必要があり,子どもを傷つけずに実感させる場をどう設けていくかが課題となると私は考える。

 私の場合は,教科指導でも行うが,学年経営の経験上,もともとの能力差が大きい「教科学習」という授業の場ではなく,新しい道徳を含む「教科外活動」が最も適していると認識している。

 正解があらかじめあるのではなく,正解をみんなでつくっていこうとする活動,正解がたくさんあることに気づいていける活動こそが,「自分の頭で考える力」を伸ばすものだと思っている。

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「対話的な学び」とは?~対話する社会へ

対話する社会へ (岩波新書)
暉峻 淑子
岩波書店
2017-01-21


 「主体的・対話的で深い学び」を義務教育で実現しようとする意気込みは歓迎する一方で,教師自身,あるいは教職につこうと努力している人たちがそういう学びをほとんど経験していないため,「絵に描いた餅」で終わってしまうことの危惧も強い。

 「戦争・暴力の反対語は,平和ではなく対話です」という帯の言葉に引かれてこの本を読もうとしたのだが,対話ができなくなりつつある世界にどうやって立ち向かおうというのか・・・あるいは,教育という手段によって,対話する社会の担い手をどう育てていくか,という話ではなく,とてもローカルな話題に終始しているのと,取材が十分とは言えないところがあって,こういう姿勢の著書では,本との対話にもならないなと感じてしまった。

 この本の中では,「対話喪失社会の陥穽」というコーナーで,職員会議の位置付けが法令で変わったことを引き合いに出し,学校現場の現状を批判しているが,校長や教師たちをあまりに低く見過ぎていることが気になる。ごくわずかな文字数で学校現場を「対話喪失」の代表例として挙げられるのは心外である。

 ご自身の大学の授業では,学生とどのような対話的な学びを実践されてこられたのかが全く見えてこない。教育の視点から読もうとしたのが間違いのもとだった。

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キャスターの教科書~キャスターという仕事



 発売から少し時間が経ってしまったが,素晴しい本を読むことができた。

 中学校教師である私は,クローズアップ現代の一部を視聴させて,生徒に議論させるという流れの授業を社会科で何度か実践したことがある。
  
 池上彰さんの番組は,すべて「分かりやすく説明してしまう」もので,授業には使えないが,「議論のための余韻を残す」クローズアップ現代のインタビューやVTRは,本当に教材としての価値が高かった。

 20年以上にわたる番組制作の全貌を描ききれない,というのは国谷裕子さんの言う通りだと思うが,その間に発し続けられた大切なたくさんのメッセージが,この著書にはしっかりとまとめられていると思う。

 池上彰さんのように,民放でも素晴しい番組づくりに励んでいる方もいらっしゃるが,NHKの存在意義を証明してくれる番組の最有力が,クローズアップ現代だった。

 存在意義が証明できることの一つが,「視聴者(インタビュー対象の支持者)からの苦情が寄せられることもあった」という事実である。

>この人に感謝したい,この人の改革を支持したいという感情の共同体とでも言うべきものがあるなかでインタビューをする場合,私は,そういう一体感があるからこそ,あえてネガティブな方向からの質問をするべきと考えている。その質問にどう答えるのか,その答えから,その人がやろうとしていることを浮き彫りにできると思う。日本語の何となくストレートに聞けない曖昧さをどうやって排除していくか,それは,インタビューをしていくうえで大きな課題だ。

 同調圧力が強い日本が,かつてその圧力によって国が崩壊しかねない悲劇を招いたことを,知らない人はいないはずである。

 危機を間近に感じれば感じるほど同調圧力が高まるという弱点を抱える日本人にとって,国谷さんのようなキャスターがいることは,非常に大きな財産であった。

 ジャーナリズムが失ってはならないものを訴え続けて,国谷キャスターのクローズアップ現代は最終回を迎えてしまった。

 最終回のゲストとなった柳田邦男さんは,「危機的な日本の中で生きる若者たちにハか条」を用意されていたということだが,番組では四か条として紹介された。著書の中で,国谷さんが全ハか条を掲載してくれている。私は,「若者」はもちろんだが,現役のキャスター,ジャーナリストたちに,この言葉を噛みしめてもらいたい。

>一 自分で考える習慣をつける。立ち止まって考える時間を持つ。感情に流されずに論理的に考える力をつける。

二 政治問題,社会問題に関する情報(報道)の根底にある問題を読み解く力をつける。

三 他者の心情や考えを理解するように努める。

四 多様な考えがあることを知る。

五 適切な表現を身につける。自分の考えを他者に正確に理解してもらう努力。

六 小さなことでも自分から行動を起こし,いろいろな人と会うことが自分の内面を耕し,人生を豊かにする最善の道であることを心得,実践する。特にボランティア活動など,他者のためになることを実践する。社会の隠された底辺の現実が見えてくる。

七 現場,現物,現人間(経験者,関係者)こそ自分の思考力を活性化する最高の教科書であることを胸に刻み,自分の足でそれらにアクセスすることを心掛ける。

八 失敗や壁にぶつかって失望しても絶望することもなく,自分の考えを大切にして地道に行動を続ける。



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公立中高一貫校に不足しているものとは?~都立中高一貫校10校の真実




 河合敦先生を最初にテレビで見たのは10年くらい前だっただろうか。

 同じ中高一貫校に勤めている先生から,「テレビに出るときは伊達メガネをかけられているんだよ」などと教えてもらった記憶がある。

 文筆業と教育公務員の兼業の許可がよくおりてるなと思ったのが第一印象だった。

 私は行政の立場で,河合先生が所属していた学校の,中高一貫校としてのスタートにかかわった人間だが,私の方が数年先に東京都を退職している。

 河合先生は批判的に記していないが,中高一貫校が作成している「適性検査問題」は,ルール上,「学力検査」ではないはずなのだが,教科横断的につくっている,ということ自体,教科で育まれた学力を検査しているわけで,「新しい学力」のイメージが定着した今,これを「学力検査ではない」と言い張ることは無理になっている。

 ある年の,適性検査問題の出題の基本方針は以下のようなものである。

<em>>1 小学校で学習した内容を基にして,思考・判断・表現する力をみる。
  
 2 与えられた課題を解決するための,分析・考察する力をみる。

 3 身近な事象の中から課題を見出し,それを解決するための方法を考えることを通して,思考・判断する力や自分の意見を適切に表現する力をみる。
</em>
 
 学力の検査以外の何物でもないだろう。

 国家公務員法を組織ぐるみで破っている文部科学省でも,これくらいの約束違反に気づける能力はあるはずだが,アスペ系の文科大臣でも出てこない限り,この「適性検査」をやめさせる決断などできないだろう。

 「ゆとりの中で生きる力を育む」という趣旨でスタートさせるための公立中高一貫校だが,「安いお金で良い大学への進学を望む」親の要望に応えるための学校になってしまった。「都民の声」のおかげで,受験競争が激しくなってしまっているのである。

 教員もその声に応えようと,熱心に補習などを行っているようだが,河合先生は,国語・数学・英語の先生があまりにも熱心に補習をするため,他の教科の学習がおそろかになり,困った経験があると書いている。

 高校教員は,模試の得点が自分の評価に直結すると考えているようで,他の教科に迷惑をかけて(大量の課題を与えるなどして)もおかまいなしらしい。

 中高一貫校に変わったばかりのころは,長く勤めてこられた先生方がいらっしゃったが,団塊の世代の教員が抜けて,最近は進学指導の実績のない若い教師が増えているらしい。さらに,学校を短い期間で異動する人も多いとのことである。

 ずばり教員の質が落ちているという指摘まであるのだが,私は塾のセンセイのような技術はそれなりにもっている人が任用されているものと考えている。ただ,経験が浅い人たちであるのと,生徒たちはいたってまともだから,次の学校に異動したときは悲惨な思いをするのが目に浮かぶようである。

 河合先生はその逆で,特別支援学校,定時制高校の経験をされたあとだったので,そこで培われた指導技術を生かすこともできたのと,研究する時間も確保することができたのだろう。

 ただ,提出しなければならない書類が増えすぎて,嫌気がさして退職,という流れになったことは容易に想像がつく。

 公立中高一貫校にかけているものは何か。

 私が感じている最大の課題は,前半に書いたような「ボタンのかけ違い」である。

 本来の趣旨に背いている学校になっていることが最大の問題である。

 大学進学実績を上げるために,高校の内容を中学校でも教えるような,先取り学習を行っているらしいが,それによって校内の学力格差が広がってしまっているらしい。

 また,中学校の授業を持ちたがらないセンセイが多いとのことである。

 中学校と高校では「風土」が全く違っていて,高校の先生は基本的に「ほったらかし」で何とかなるのが常識である。しかし,中学校1年生はそうはいかない。担任は6年間持ち上がりだから,手厚い指導を6年間も継続しなければならない。

 また,これは他の中高一貫校の先生からお聞きした話だが,公立中に通う子どもが経験できる「15歳での最高学年」や「15歳での受験」がないため,一貫校の生徒はリーダーが育たない,学習の中だるみが起きやすい,とのことだった。

 中高の6年間で培われるものはもちろんたくさんあると思うが,「3年間で卒業する」経験ができないことは,私から見れば「とても可哀想」である。

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教育の逆説~新しい学力

新しい学力 (岩波新書)
齋藤 孝
岩波書店
2016-11-19


 教育学部のどこかの授業で,

 日本の歴史の中で,特に優秀な人材がたくさん輩出され,社会の変革に大きく貢献できた世代は,どのような教育を受けてきたのか?

 という課題を追究してもらうとする。 

 どのような答えが想定できるだろうか。

>明治維新を成し遂げた人々は,「学力」ということでいえば,徹底的に「素読」を中心とした伝統的な教育を受けた人々である。問題解決型学習とは程遠いようにみえる素読を技として身につけた人々が,現実に押し寄せてきた植民地化の波から日本を救い,欧米列強に追いつくという,大きな「問題解決」を成し遂げたのである。

 続いて,戦後の復興から高度経済成長を支えた世代の教育が紹介されている。

>個性や主体性とはかけ離れた教育を受けたようにみえる人たちが,昭和二十年代,三十年代に,爆発的な学習意欲を示し,これまた「問題解決」を成し遂げた。

 「教育の逆説」とは,個性を尊重することをスローガンとして行われた教育によって,かえって個性化ではなく画一化が進むなどという,学校道徳教育の経験をふまえれば誰でもわかるような「理想と現実」「目標と指導」「目標と結果」のギャップ,いやむしろ,逆の効果の方が大きいことを示す言葉である。

 私の経験から言えば,小学校で知識重視で学んできた(主に塾で学ぶのだが)子どもの方が,思考・
表現を重視して教育された子どもよりも,はるかに「思考・表現」に優れた学習成果を中学校で残すことができている。

 学力調査の結果を見ても,知識・理解が不十分な子どもは,思考・表現も不十分のままである。

 思考・表現がよくできるが,理解が不十分という子どもはほとんどいない。

 「新しい学力」を重視することによって,「新しい学力」が身につくわけではないことが,とてもよくわかる「学習」になるだろう。

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