「新しい元号ができる」という特集が掲載されている。
ジュニアの政治への関心を高めるになるだろうか。
「元号」はいつから使われ始めたか?
「元号」で最も多く使われている文字は何か?
最も長く続いた「元号」とは?
最も短い時間でかわってしまった「元号」は?
私の関心は,新しい元号のスタートになりそうな
2019年の出生率は上昇するか?
オリパライヤーとなる2020年はどうか?
といったものだが,「異例」なことが実施されるときには,
「何かが起こる」「何かが変わる」きっかけになりやすいから,
少々の不安というものも感じている。
かつては「支配」のための道具でもあった「元号」だが,
今まで使われてきた文字を見ればわかるように,
「人々の思い」を託せられる大切な言葉であることは確かである。
また,「元号」を大切にしてきたということは,
「中国」の古典や文化を尊重していることになる。
現代のグローバルスタンダードとは呼べないが,
古代中国との絆にもなっていることを知っておくべきだろう。
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以下の記事は,本編に記したものです。
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日本のはじまりとはいつのことか?
日本独自の紀年法に,神武天皇=初代天皇が即位したとされる年(西暦で言えば紀元前660年)を元年とする「皇紀」というものがある。「皇紀」の正式名称は「神武天皇即位紀元」といい,「神武暦」「皇暦(すめらこよみ)」などともいう。「皇紀」が公的な暦として制定されたのは明治5年(1872)で,太陽暦が採用された年でもあった。
今年は皇紀2677年に当たるが,一般的にはこの数え方を目にすることはない。
政治権力を持とうとする者にとって,その「権威」をどのように確保するかは切実な課題である。
中国にならって,日本で「元号」が使われ始めたのは,西暦645年(皇紀1305年)のことであった。
(まだ「日本」という「国号」もなかったことに注意しなければならないが)
「大化の改新」とよばれる一連の政治改革で重要だったことの一つは,蘇我氏を滅ぼすことであった。
「明治維新」では言うまでもなく,江戸幕府の滅亡から始まっている。
「皇紀」の制定のタイミングを見ても,政治的権威をもつための手段として,「時間」の支配が重要だったことが想像できる。
日本以外の国で,「独立宣言文」に日本の「皇紀」が使われていた国があった。
植民地支配を受けていた国が抱える様々な課題を考えるきっかけになる「教材」である。
「元号」の使用開始と比べると,「皇紀」の制定の理由については,政治権力をもとうする人の立場が異なり,「天皇自身が権威を高める」ことでなく,「天皇の権威を利用する」ことが目的だったと考えられる。
日本では永く天皇の権威がそのときどきの政治権力によって守られてきたが,それは自分の権力を高める道具として利用した結果であったこともある。
アジア太平洋戦争での「天皇の権威の道具化」は,日本の国民だけでなく,多くの人々に多大な犠牲を強いる結果となった。
「天皇の権威」自体に敵意を向ける人もいるが,私としては「道具化」した政治権力に敵意を抱いている。
戦後,GHQが占領政策の基盤として「天皇の権威」を利用したことで,新たな犠牲を生まずにすんだ,という面もあるので,「権威の道具化」がすべて悪いというわけでもない。
現代では,「天皇の権威の道具化」が,今までのように「天皇の権威」自体を傷つけずにすむという保障はないという危惧を私は抱いている。
新たな「元号」の制定をめぐる経緯を注視していたい動機がそこにある。
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