教育失敗学から教育創造学へ   (読書編) ~子どもの教育に情熱をかける人々のために~ 

小学生と大学生の親です。 このブログでは,読書から得られた発見や視点を中心に,子どもの教育について考えていることを書き綴っていきたいと思います。

2017年05月

時代区分に関する知識~社会科教育2017年6月号

社会科教育 2017年 06月号
明治図書出版
2017-05-12


 教員養成系の国立大学の先生がこのブログの内容を取り上げて批判していただいたおかげで,社会科の先生を目指す学生の方にお話しするというきっかけができました。そういう意味では感謝しております。(大学の先生が出典=このブログを明示してご批判いただいたものと信じております)
  
 さて,上記の雑誌からは,「見方・考え方」の意味を取り違えている小学校の先生がいることを指摘しましたが,中学校の先生にも,歴史に関する一般的な知識がかなりあやふやな方がいらっしゃるようなので,引用させていただいて,私なりに批判したいと思います。
 
 「中世と近世の変わり目を解釈する歴史学習」という原稿です。
  
>現代社会の問題の解決に必要な考え方を,歴史から学んでいる
  
 という姿勢は,とても大切なもので,おっしゃる通りです。
  
 ただ,問題解決に当たって,自分の都合のよいように解釈をねじ曲げたり,あった事実をなかったことにしたり,なかったことをあったと言うような態度をとってはいけません。
  
 教員になって,いじめなり問題行動なりの指導をするとき,最も大切なのは「事実認識」「関係認識」です。偏った「価値認識」に凝り固まった子どもを成長させるために,いきなり「いじめはダメだ」「相手の気持ちを考えることが大切だ」という「価値」観をぶつけてみても,何の解決にもなりません。
  
 確かな「事実認識」と「関係認識」に根を張った「価値認識」が大事なのです。

 だから,子どもたちは,何度も問題にぶつかって,何度も叱られながら,少しずつよりよい「価値認識」を築いていくわけで,生活指導に特効薬はありません。

 話を戻すと,この原稿を担当された方は,「ただ各時代の特色を明らかにするという学習では,社会に見られる課題の解決に向けた多面的な判断を伴う学習に発展するとは限らず,学習がその時代だけで完結してしまうことが懸念されるから,各時代に関する解釈・評価を伴う学習が大切だ」と言っています。

>例えば,「鎌倉時代の始まりを西暦何年からとするか?」という問題は,現代社会の課題であり,判断するためには・・・

 とありますが,政権があった場所の名前を冠する時代名を扱うときに,はじまりを何年からとするのかという問題は,現代社会に生きる私たちにとって,本当に切実な課題と言えるのでしょうか?

 当時の人が「はい,今年から鎌倉時代ですよ」なんて考えるわけではないので,「現代社会の人が考えること」であるのは確かですが・・・。

 こういう問題にこだわる姿勢を批判する側だと思っていたので,意外です。

 この先生が「現代社会の課題」としてイメージするものが,よく伝わってきません。

 この先生の「中世」という時代に対する認識も,ちょっと「一面的」です。

>武士だけが日本を支配していたわけではなく,貴族や僧,朝廷との争いの中で,支配体制を強めていったのである。そのため,武士が対立した勢力を考えることで,中世を様々な角度から見ることができるのである。特に,中学校の学習においては,天皇の存在に対する記述が少ないが,天皇が日本の歴史の中で,連綿と受け継がれていることも意識させたい。

 最後の部分の言葉遣いにはもう少し配慮してもらいたかった気もしますが,武士と貴族,朝廷,寺院との関係を「対立関係」だけでとらえてしまうと,それは「一面的な考察」になってしまいます。

 中世の文化の特色が説明できなくなってしまう。

 「様々な角度から見る」あるいは多面的に考察するというときは,「武家政権」から見た歴史ではなく,民衆から見た武家政権のように「視点を変える」ことも重要です。

 「足利義満の年表から中世が大観できる」として,

>幕府の三代将軍になったということで,武士という勢力の中で頂点に立った

>長い間分裂した南北朝を統一したことにより,朝廷との関係を築くことができた

>太政大臣になることによって,公家としての最高位になった

>出家したことにより,仏教の世界とのかかわりを持つことができた

>明から日本国王と認められたことにより,天皇の存在がありながら,日本の王として存在するという事実を作り上げた


 と「解釈」していますが,すべてにわたってツッコミどころがあります。さすがに大学生でもわかると思うので,ここではスルーします。

 さらに,時代区分に関する話では,

>中学生に考えさせるためには,一般的な認識を示し,それを吟味する学習方法が良いと考える。そこで,「近世の始まりは,江戸時代とされるが,中世と近世の変わり目を考えよう」という学習課題を設定し,生徒に考察させる。

 とありますが,東京書籍とか帝国書院の中学校の歴史教科書を読むまでもなく,学習指導要領でも「近世は江戸時代から」なんていうことは書いてありません。

 この先生は歴史の常識はもちろん,学習指導要領に示された内容もご存じないのでしょうか。

 あえて「近世は江戸時代から」と設定して,それはこういう理由でおかしい,と主張させるという趣旨ならば,理解できなくもないですが。

 授業者の「歴史認識」が怪しい状態で,適切な学習状況の評価は可能だと言えるでしょうか?


にほんブログ村 本ブログへにほんブログ村 本ブログ 読書備忘録へにほんブログ村 教育ブログ 教育論・教育問題へにほんブログ村 受験ブログへにほんブログ村 受験ブログ 受験生の親へ教育問題・教育論 ブログランキングへ

水を確保するための裁判~村の戦争と平和

村の戦争と平和 (日本の中世)
坂田 聡
中央公論新社
2002-12


 雑誌・社会科教育2016年8月号で,ある大学の先生が,「室町時代の特色」について,どこかの高校の先生の授業実践から,
 
>幕府や守護大名は民衆の揉め事を裁判等で取り扱うことはまずなく,また判決も実効力はなかったこと(自力救済社会)

 という内容が明らかにされた,ということを書かれていました。そこで私が, 

>揉め事を扱うことはない,と書いてありますが,徳政令を出したのはどこでしょうか。
 徳政一揆という性格は,中学校の教科書でも扱っています。

 また,裁判等で扱うことはまずないと書いておきながら,判決に実効力がない,というのはどういうことでしょうか。室町幕府の裁判記録は残っていますが,実効力が本当になければ,そもそも裁判に訴える意味はないでしょう。

 とお聞きしたところ,次のようなコメントをいただきました。

>教師の参考文献に上がっていた(おそらく授業の展開上、子どもたち自身が図書館で見つけ出した本・・・となるのかもしれませんが)『紛争と訴訟の文化史 (シリーズ 歴史学の現在) 』( 歴史学研究会)を読んでもらえれば良いでしょう。
>貴公があまり当時の裁判の実態について知らないようですね。

 ご指摘の本が手元にないので,読むと何がわかるのかが不明ですが,
  
 私は室町時代の裁判について,桂川の用水相論(←資料へのリンク)に関する授業を行ったことがあります。
  
 最近の東大入試の日本史問題でも出題されたので,受験生もよく知っている題材です。
  
 用水の権利は,民衆にとって生死にかかわるもので,荘園領主が必死になって裁判でも戦います。

 この裁判は,幾度となく繰り返されていますが,その必死さが,自らの利害主張のために作成した用水差図から伝わってくるのです。

 用水利用の正当性を村々が幕府に訴える姿を「なかったこと」にはできません

 幕府に訴訟を起こす主体は,中世ですから,民衆ではないのは当然ですが,水の確保は民衆にとっては死活問題なのです。

 東大の入試問題でも触れていましたが,当然,村々が実力行使に及ぶ場合もありました。それは,本当に「生きるため」だったのかもしれません。中世の民衆の暮らしに心を寄せたいのであれば,「生きるための必死さ」に注目させるべきなのではないでしょうか。

 「自力救済社会」という漠然としたキーワードに惑わされて,幕府の力を侮ってはなりません。

 信長にとってさえ,当初は幕府に「利用価値」があったのです。

 「どうしてこれまで不満があれば逃亡するしか無かった民衆が,この時代に集団での抵抗という手段を採用することができるようになったのだろう」という問いに,「情報交換が自由に広範囲にできること」「自治意識」等と答えればよいだけの授業なら,以上の内容は「極めてどうでも良いこと(些細な事)」なのかもしれませんが。 



 参考までに,こちらの本から,「一揆の時代」の幕府について解説している部分を引用いたします。

>一般に幕府の権威は応仁の乱以降失墜したといわれる。たしかに幕府の威令が日本の各地に及ばなくなっている事例を見出すことはむずかしくはない。しかし一方で,京都およびその周辺の住民たちが,治安の悪化に対処するために,幕府の権威をてがかりにしようと試み,場合によっては従軍さえも受け容れていることも確かである。土一揆の洗礼をうけるなかで幕府を担ぎ出した住民の防衛態勢も整備されていったと考えられるのである。

>幕府が徳政令を出すと,土一揆の結束要件を消滅させ,逆に幕府側へ組織する効果をもっていたことも予想される。

 教育学部の学生さんたちにも,読んでいただきたい本の一つです。

にほんブログ村 本ブログへにほんブログ村 本ブログ 読書備忘録へにほんブログ村 教育ブログ 教育論・教育問題へにほんブログ村 受験ブログへにほんブログ村 受験ブログ 受験生の親へ教育問題・教育論 ブログランキングへ

教育改革の鍵は,学習指導要領の改訂よりも教師のカリキュラムと授業の調整力向上にある~社会科教育8月号

社会科教育 2016年 08月号
明治図書出版
2016-07-12



 カリキュラム・マネジメントの主体は学校や教師です。しかし残念ながら,中等教育では「進路を保証する」ためのマネジメントになりがちで,社会を生き抜くための資質・能力よりも,受験学力を重視する教育に偏りがちという図式に大きな変化は見られないでしょう。センター試験に変わる新しいテストへの対応を真っ先に考えているのは,受験産業です。

 ある教員養成系の国立大学の先生は,「学習指導要領が教育改革に果たす機能はそこまで大きくない」と原稿で述べていますが,学習指導要領では総則をはじめとして,各教科等においてもカリキュラム・マネジメントや授業の調整力の大切さを訴えていますから,AよりBが大きいとか小さいとかそういう図式で語れるものではないはずです。

 教育改革の鍵は教師がどういう授業をしてくれるかにある,という主張はその通りでしょう(だれも否定しないのでは?)。ただ,授業力向上の鍵は教師教育にある,という指摘は,大学の先生の立場でそう主張されるのはわかりますが,教師の授業力を磨くには,現場で切磋琢磨してもらうしかありません。原稿の後半で,授業をご覧になった先生が,そのような趣旨の発言をして下さっていてほっとしています。大学での模擬授業や教育実習程度では,どうしても理念先行型のカリキュラム・マネジメントに陥りやすくなります。中学校なら3年間を通したカリキュラムを自分自身で実践し,まずは子どもたちの資質・能力の向上のあり方をしっかり見定めて,自分なりの課題を見つけていくことが教育の改革にとっては重要なのです。そういうキャリア・マネジメントのあり方を教師教育で扱ってくれることは大切です。「教える(伝える)こと」で理解できる部分と,「実践する(行う)こと」で理解できる部分の違いは言うまでもないでしょう。

 雑誌の原稿では,森分孝治氏の「社会科の本質」という論文が紹介されていますが,森分氏の言葉なのか,それとも引用した先生の言葉なのかがはっきりしない部分があります。

>内容の具体部分については,わざわざ為政者(地方公共団体)が副読本『私たちの○○市』を作成して配り,為政者の見せたい事例と解釈を直接子どもに伝えていく。水道も電気もゴミ収集も交通安全も文化遺産保護もそこで働く人(お上)に感謝。「感謝の社会科」だ。しかし米国では全く異なる原理でコミュニティを学ぶ。

 原稿を書いた先生が言いたかったのは,日本の学習指導要領は反民主的性格を持っている,ということなんですね。

 ただ,すでに「為政者」という前近代的な言葉を使っている時点で,まるで「日本は民主主義国家ではない」と批判しているように思えます。

 地方自治体が副読本を作成する場合には,現場の教師が執筆を分担するようになっており,「先生が見せたい・読ませたい地元の事例と解釈」がしっかりと書かれているはずです。

 地域で働く人(公務員)も同じ国民であり,国民への奉仕者という立場はもっていますが,そういう人々に感謝の気持ちを持つことは,決して不自然・不要なことではありません。

>普通の教師は,学習指導要領が米国式に変わるまで待つべきなのか。それまで,この反民主的な学習指導要領に嫌々従わなくてはならないのだろうか。

 と大学の先生は指摘していますが,どこが「反民主的」なのか,ぜひご説明していただきたいものです。移民の国アメリカにはアメリカなりのコミュニティがあり,日本には日本なりのコミュニティがあるはずです。町内会を「隣組」と呼ぶような地域が残っているかもしれませんが,子どもが生きていくのはそういうコミュニティなのです。もちろん,「こんな村にいたくない」といって出ていくのは,個人の自由ですが,「出て行ってほしくない」という地域の切実な思いにも共感すべきでしょう。

 ある大学の名誉教授は,「自分が住んでいる町の町内会長なんか知らなくていい」と述べていましたが,こういう人が養成した社会科の先生は,どういうことを子どもに教えるのか,とても不安です。人口減少社会は大変な社会だ,という趣旨の発表をされた直後だったので,「社会性の乏しい大学の先生が地域のお荷物になっている」というある人の悩みを思い出してしまいました。

 アメリカの歴史学者の本を読むと,AかBか,という対比がよく登場します。

 しかし,たいていの場合,AならAしかない,BならBしかない,ということはなく,AよりBが大きいとか小さいとか,程度の違いがあるだけです。

 日本の学習指導要領にも,反民主的な側面があるかもしれませんが,そうではない面もあるのです。

 「為政者=お上」と「民衆」という単純な対立構造で社会を見たり,「お前はA主義者だ」「お前はB寄りだ」などと決めつけて対決姿勢をとるのが,アメリカの社会科教育の癖なのでしょうか。

 議論のための議論,本にするための議論など,私たち現場の教師には何の役にも立ちません。

 
にほんブログ村 本ブログへにほんブログ村 本ブログ 読書備忘録へにほんブログ村 教育ブログ 教育論・教育問題へにほんブログ村 受験ブログへにほんブログ村 受験ブログ 受験生の親へ教育問題・教育論 ブログランキングへ

すでに誤解されている「見方・考え方」~社会科教育6月号

社会科教育 2017年 06月号
明治図書出版
2017-05-12


 原稿の内容に真っ当なチェックが入らない雑誌を読んで,誤解してしまう先生がいると困るので,少しコメントさせてもらいます。
  
 「社会的な見方・考え方」とは,社会的事象等の意味や意義,特色や相互の関係を考察したり,社会に見られる課題を把握して,その解決に向けて構想したりする際の「視点や方法」のことです。
  
 ですから,「見方・考え方」は「働かせるもの」であって,「働かせた結果,わかったこと」ではありません。また,「見方・考え方」は「身につけること」が目標ではなくて,それを働かせて,公民としての資質・能力の基礎を育成することが社会科の目標です。

 小学校6年生の歴史では,たとえば,江戸幕府の始まり,参勤交代や鎖国などの幕府の政策,身分制を手掛かりに,武士による政治が安定したことを理解し,その知識を身につけることが求められていますが,その際,歴史上の主な事象を手掛かりに,大まかな歴史を理解しなければなりません。また,関連する先人の業績,優れた文化遺産を理解するだけでなく,それらに着目して,我が国の歴史の展開を考えるとともに,歴史を学ぶ意味を考え,表現する力を身に付けることも求められています。

 「室町時代や戦国時代とは異なって,徳川氏による政治が安定したのはなぜだろうか」といったような「学習の問題」が設定されるわけですが,

 注意しなければならないことは,ここでの「学習の問題」は,「江戸時代すべて」を対象にしたものではないということです。「武士による政治が安定したこと」を理解させる上で,様々な改革をしなければならなかった「動揺期」の歴史的事象は邪魔になります。

 「江戸時代は平和な時代」などという安易な捉え方をしないように,注意を払うことが必要です。

 実際には,

 「政治が安定するとはどういう意味なのか。」

 「いつごろから安定したと言えるのか。それは何をきっかけにしてなのか。」

 といった課題を,江戸幕府の成立,参勤交代などの政策,身分制を手がかりに追究していくわけですが,教師は,どんな教材を使えば,次のような追究の視点や方法=見方・考え方を子どもが働かせていけるかを考えていきます。

・位置や空間的な広がり(大名配置など)
・時期や時間の経過(戦乱に関する年表など)
・事象や人々の相互関係(制限される交易など)  
  
 以上のことから社会的事象を見いだして,
・事象を比較・分類・総合して特色を考えたり,
・人々の生活と関連付けてその意味を考えたりする。

 追究の結果,江戸時代前半は「安定した」とか「平和になった」とか言っても,「現代ではそんな不自由な生活は通用しない」「いずれ無理が生じてくるはず」などといった主張ができる子ども像が描けるのではないでしょうか。

にほんブログ村 本ブログへにほんブログ村 本ブログ 読書備忘録へにほんブログ村 教育ブログ 教育論・教育問題へにほんブログ村 受験ブログへにほんブログ村 受験ブログ 受験生の親へ教育問題・教育論 ブログランキングへ

「自立」と「抵抗」の違いとは?~一揆と戦国大名

一揆と戦国大名 (日本の歴史)
久留島 典子
講談社
2001-11-07


 中世の「一揆」は,ある目的をもって組織や集団をつくりことを言い,また,そのつくられた集団自体を指す言葉でもあります。

 戦国時代は,大名から百姓まで,多くの人々がさまざまな目的で一揆を結びました。

 中世の「一揆」を「民衆の為政者への反抗」という単純な図式で捉える人がいる理由は,近世の「百姓一揆」のイメージが強いからでしょう。しかし,近世ですら,それは「一揆」の一側面にすぎないのです。

 高校の日本史では,まずこういう先入観を解くところからはじめなければなりません。

 ある教員養成系の国立大学の先生が社会科教育の雑誌に紹介した,どこかの高校の先生の実践は,中世の一揆を「民衆による為政者への集団での抵抗」という位置付けで捉え,それができるようになったのはなぜかを考えさせたものです。その大学の先生から,次のようなご指摘をいただきました。

>貴公は歴史認識の誤認が気になって仕方がないようなので、貴公の歴史認識の誤認についても説明しておきましょう。


>土一揆の実態がどうのこうのも大切かもしれませんが、民衆が為政者に挑戦権を挑んでいく環境が生まれることで、国人領主や地侍の階層が台頭し、戦国大名を生み出す基盤となったことを内容として抑えることは、高校日本史を教えるものであれば当然のことです。

>貴公は守護大名と戦国大名の違いはご存知なのでしょうか?
>そして何が原因でこうした事態が生じたとお考えなのでしょう?
>まさか応仁の乱(明応の政変)というのではないでしょうね?
>それこそ、愚の骨頂で、誤った歴史認識です。

 私の歴史認識が誤っていると非難する大学の先生が語る「民衆」が,どこからどこまでを指すかがわかりにくいのですが,民衆の拠点はあくまでも「村」や「町」であり,そこで自立性を強めていった動きと,守護や地方の有力領主である国人たちが,幕府の力に拠らず,独力で地域支配を行う方向を模索し始め,領国化に成功していった動きを直接的に因果関係で結ぶことは適切ではないのでは?

 「自立」=「抵抗」とは限らないことはおわかりですよね。

 国人領主や戦国大名は,「民衆」の側というより,「為政者」の側に近いですよね。「地侍」は,国人領主や戦国大名と主従関係を結んで侍身分となった元百姓ですが,一揆を指導した「地侍」を「民衆」の側から見るのと,支配者の側から見るのとでは意味合いが変わってきます。

 中世の一揆の目的は,支配者に対立するものだけではなく,支配をするための一揆,支配者同士対抗し合うための一揆もありました。

 民衆の一揆は,地域の領主の危機にもつながり,それを克服するために領主たちの一揆が必要だったと考えると,民衆の一揆があるおかげで,「戦国大名がよりよい(?)為政者として成長することができた」と評価することはできます。
 
>正長・嘉吉の土一揆を賛美している?
>私はマルクス主義者ではありませんから、そのつもりはありませんし、おそらく当授業をされた教師の言いたいことも、そんなことではないでしょう。むしろ問題は、貴公の決めつけ(ちょっとそんな感じの言い方をしたことを根拠に話を広げ過ぎた)にありそうです。

 このような指摘を大学の先生がされていますが,私は,2つ前の記事で,

>土一揆に対して「自治的で素晴しい」なんて評価を生徒がもし口にしたら,土一揆のために京都の民衆がいかにひどい目にあったかという資料を提示してあげます。

 と書いているだけで,大学の先生や実践をした高校の先生をマルクス主義者だと言った覚えはありません。ですから,「決めつけ」をしているのは,むしろ大学の先生であることがわかっていただけると思います。授業者が言いたいことと,生徒の側が受け止めたことが食い違うことは,授業ではいくらでもあるのです。

 ただ,正直なところ,高校の先生の授業実践では,授業者の価値観と全く同じものを言わされているだけのようにしか思えないのです。現代の「価値認識」に重きをおくと,歴史は誤解を招きやすいと言っている理由はご理解いただけますでしょうか。今回は,誤解や曲解とまではいきませんが,「無理矢理感」が否めません。そして,高校の先生の実践は,一方では,大学の先生の価値観を示すために利用されているだけのようにしか思えないのです。

 大学の先生は,

原稿で示している歴史の話は、現場教師(つまり私ではない方)の実践での話しですから、私の歴史認識云々の話ではない

 とブログへのコメントで書かれています。歴史認識の話は確かに「こちら側」の受け止め方の話ではありますが,先生がご自身の歴史認識を示されたことで,「こちら側」だけの問題ではなくなったような気がしております。

 今年の学会は参加の予定がなかったのですが,少し検討してみたいと思います。

 このブログを読んでいる方がもしその学会に参加されたら,私がだれかバレてしまうのですが・・・。

 実は,今回のやりとりと似たようなケースが過去にありました。強引な「価値認識」誘導型の歴史の授業をある大学院生が私の学校でやろうとしたのですが,指導案の段階でつぶしました。説明に6時間以上かかったのですが,指導教官がやってきて,やっと理解してもらえた記憶があります。こちらの指導教官は,やはりアメリカの社会科教育を学んだ方でした。

 両方の先生には人間的にもとても似ているところがあるとお聞きして,アメリカの社会科教育に少しだけ関心をもったところです。

 こちらの記事は,ゼミの学生さんたちはお読みいただいていますか?

 もしご意見がうかがえるようなら,コメントお願いいたします。
 

にほんブログ村 本ブログへにほんブログ村 本ブログ 読書備忘録へにほんブログ村 教育ブログ 教育論・教育問題へにほんブログ村 受験ブログへにほんブログ村 受験ブログ 受験生の親へ教育問題・教育論 ブログランキングへ
最新コメント
アクセスカウンター

    受験ブログ
    livedoor 天気
    「livedoor 天気」は提供を終了しました。