教育失敗学から教育創造学へ   (読書編) ~子どもの教育に情熱をかける人々のために~ 

小学生と大学生の親です。 このブログでは,読書から得られた発見や視点を中心に,子どもの教育について考えていることを書き綴っていきたいと思います。

2017年08月

遣隋使の派遣と冠位十二階の制,どっちが先?~5W1H思考



 もし新しい学習指導要領で「見方・考え方」ではなく,「5W1H」を基本に考える,というシンプルな路線ができていれば,「無理矢理」感のない,自然な「教科の特性」が浮き彫りになったのではないか。
  
 「教科の特性が言えないんなら,その教科はなくてもいいということだ」なんていう「恫喝戦略」を通して生まれたものが,成功に至るわけがない,という予想を立てられた人はどのくらいいるだろう。

 先週の社会科の学習会で最初の話題にしたのが,タイトルの問いである。

 遣隋使の派遣については,中国側の記録に,日本側(日本書記)には記されていないもの(西暦600年)が残っている。

 600年の第1回遣隋使の後に冠位十二階や憲法十七条がつくられたとするのと,

 冠位十二階や憲法十七条制定の後に遣隋使が派遣された(日本の教科書の記述)とするのと,

 見え方はどう変わってくるのだろう?

 「それはいつの話なのか」という着目の仕方をすると,自然に「なぜ?」に発展していく。

 「なぜ鎌倉に幕府を?」という問いについては,奥州藤原氏を滅ぼした時期を幕府の成立過程と合わせてみると,ただ「三方を山で囲まれ・・・」という,地形だけの説明では満足できなくなっていくはずである。

 このように,歴史は「いつ」の話なのかを知るだけで,次の課題が見えてくるものである。

 「サントリーオールフリー」の「オール」とは,何を指しているか。

 5W1Hで考えてみると,ヒットの理由が見えてくる。

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大分県立高校入試問題の「問題」について~全国高校入試問題正解



 一昨日の社会科の学習会で取り上げた話題である。
  
 今年行われた大分県立高校入試問題を題材の一つとした。
  
 大問3の(5)で,藤原氏と平氏の系図が資料として示され,以下の内容が問われていた。

>藤原氏が政治の実権を握った方法と,のちに平清盛が政治の実権を握った方法の共通点について,(系図を参考にして)20字以上30字以内で答えなさい。

 解答例として,

>娘を天皇のきさきにして,その子を天皇にたてた

 と問題集では示されている。県教育委員会が発表している「学力検査分析」でも,

 「娘を天皇のきさきにした」ことは読み取れても,「その子を天皇にたてた」ことが読み取れていない,という課題が示されており,正答率は,完全正答が22.7%,部分正答が48.5%だとしている。

 系図から読み取れる共通点はその通りなのだが,問題の「問題」は,
 
 「平清盛が政治の実権を握った方法」がそれなのか?ということである。

 最も採用数が多い東京書籍の教科書では,系図は載っているが,当然,「平清盛が政治の実権を握った方法」として本文ではふれていない。なぜなら,それは「政治の実権を握った後」の話だからである。

 思考力・判断力・表現力を問う設問で,複数の資料から判断する問題ができていない,と分析されているが,そもそも平清盛の「政治の実権を握る方法」は「武力」であったわけだから,むしろ「相違点」の方に着目させるようにしむける問題にすべきだったのだ。

 この出題は誤りであり,全員を正解にした,という報道は今のところないようだ。

 8月になって「合否判定のやり直し」なんてできないから,もう「ごめんなさい」としか言いようがないだろう。

 こういうことが起こらないために,何が必要か。

 共通点に気づくという「見方・考え方」も大切かもしれないが,まずは基本的な歴史的事象の「事実認識」が大事なのである。コンピテンシー・ベースで教育を考えるときの最大の課題がこういうところに表わされている。

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「海洋」にしっかり目が向いていることが大事~中学校学習指導要領解説 社会編

中学校学習指導要領解説 社会編
文部科学省
日本文教出版
2008-09-01


 すでに文部科学省のホームページには,新学習指導要領の解説が掲載されている。出版はまだだろうか。夏休み中に勉強を始めたかった方のために,8月中には出てほしかった。本当にやる気のある人は,プリントアウトしてすでに読まれているのだろうが・・・。

 さて,一昨日の社会科の学習会で,「日本は海洋国家である」という見方を大事にした地理や歴史の学習を進めていくべきである,という話をさせていただいた。

 そして改めて現行の学習指導要領や,新学習指導要領の社会科の目標を読んでみて,「我が国の国土」という言葉が変更なしに使われていることに気づいた。

 地理的分野の目標で掲げられている目標は,

現行:「我が国の国土及び世界の諸地域の地域的特色を考察し理解させ・・・」

新:「我が国の国土及び世界の諸地域に関して,地域の諸事象や地域的特色を理解するとともに,・・・」

>「国土」とは,山地,平野,海岸などの自然物からなる土地それ自体だけを指すのではなく,そこに居住し生活する人々及び社会の実態や,人間の土地への対応の仕方を含めたものである

 とある。

 土地(領土)に目を向けることはもちろん基本中の基本なのだが,領海や接続水域,排他的経済水域だけでなく,日本の存立を確保するために絶対的に守られていなければならない「海上輸送ルート」も意識できる地理的な認識がこれからの時代には(すでにこれまでも時代でも)求められることである。

 世界を動かしてきた「海洋国家」の歴史を学びながら,「海洋に乗り出そうとしている国家」の思惑を理解し,対処していくための世界認識が欠かせない。

 先の大戦で大失態を演じた海軍だが,日本はいまさら「海洋に乗り出そうとしている国家」ではない。もともと「海洋国家」であるのだ。別の国の「土地」にある資源を奪うのではなく,売っていただくために,「海」は生命線なのである。

 「土地」に重きを置く歴史観から,「海」の重要性を見過ごさない「本来あるべき歴史観」にシフトするための地理的認識を確保しておきたい。

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スケジューリングの罠~原発の倫理学



 どこかで聞いたことがある話が紹介されていた。

 様々な組織で似たような「手口」があるかもしれない。

 「怪しい話」「危ない話」にどの段階でどのような手が打てるかが問題だが,まずは,

 「こういう手口だな」と気づくチャンスを持っていたい。

>官僚が,自分たちに都合の良いように物事を進めるために使う手段で最も重要なのが,スケジューリングだ。スケジュールを制するものが勝者,というのが霞が関の常識と言ってもよい。

>おそらく,委員会発足前から,官僚たちは,委員に個別に今後の作業スケジュール案というものを説明していたと考えられる。


 安全基準問題はさておき,

>平成30年4月開学ということでおしりを切った

 という「記録」はとてもわかりやすい話である。

 省庁間に限らず,「対立」はあった方がよい。

 「対立」と「対話」なき社会にあるのは・・・。

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なぜすべての子どもを同じように信じてあげないのか?~生きる勇気とは何か



 課題に取り組もうとしない子どもがいる。
  
 ある人は,教師が一斉授業をしているからだという。

 できない子には,できる子が教えてあげることで,できない子も課題に取り組むという。

 しかし,課題に取り組まされた子どもから「劣等コンプレックス」はなくなったのだろうか。
  
 逆である。教室中の同級生から,寄ってたかって「わからせてあげよう」とされることが,ときとして,どれだけつらいものか,なぜわからないのだろうか。

 一時だけ手を入れて,逆の立場を味わわせてあげたところで,「強力な劣等感」が薄れるとでも思うのだろうか?
 
 教師が「一人も見捨てない」という気持ちでいるのは,だれのためなのだろう?

 そういう気持ちを他の教師にももたせることで,だれが得をするのだろう?

 教師自身の自己満足のためではないか?

 「なぜ私一人でもできる」という勇気を教師は与えてくれないのだろう?

 なぜ,一斉授業だと子どもに勇気を与えることはできないと言い切れるのだろう?

 教師は,なぜ「すべての子どもを同じように信じる」ことができないのだろう?

 子どもたちに,「できない理由を自分で作らない」習慣を身につけさせることができないのだろう?

 昨日,今日と,ある学会に参加していたが,例によって,「アクティブ・ラーニング」という名を入れて,内容のない,学び方だけの説明をする実践?の発表が相次いだ。

 「始まる前」だが,すでに「末期的」症状である。

 「一斉授業だからできない」という言い訳をする教師に足りないものは何か。

 「自分を信じる心」ではない。

 「子どもを信じる心」である。

 
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