教育失敗学から教育創造学へ   (読書編) ~子どもの教育に情熱をかける人々のために~ 

小学生と大学生の親です。 このブログでは,読書から得られた発見や視点を中心に,子どもの教育について考えていることを書き綴っていきたいと思います。

2017年09月

教育と小説~もういちど村上春樹にご用心



 本書の中に,エルサレム賞授賞スピーチの一節が引用されています。
 
 村上春樹ファンに限らず,多くの人が知っている部分かもしれません。

私が小説を書く目的はただ一つです。それはひとつひとつの命をすくい上げ,それに光を当てることです。物語の目的は警鐘を鳴らすことです。『システム』にサーチライトを向けることです。『システム』が私たちのいのちを蜘蛛の巣に絡め取り,それを枯渇させるのを防ぐために。
 
 小説家の仕事とは,ひとりひとりの命のかけがえのなさを,物語を書くことを通じて明らかにしようとすることだと私は思っています。生と死の物語,愛の物語,人々を涙ぐませ,ときには恐怖で震え上がらせ,また爆笑させるような物語を書くことによって。そのために私たちは毎日完全な真剣さをもって作り話をでっち上げているのです。


 多くの物書きたちは,ときにストレートに『システム』を批判します。わかりやすくするために,『システム』にかかわりの深い個人を徹底的に非難する。ただ,そういう行為自体が実は『システム』に操られている証拠である,と考えることもできます。

 小説というかたちで『システム』に対抗するとは,そういう意味だと考えられます。
 
 本当は,教育が最も大事な役割を果たさなければ成りません。
 
 残念ながら,教育も『システム』化され,保護してくれるはずのものが,

私たちを殺し,また私たちが他者を殺すように仕向け始めます。冷血に,効率的に,組織的に。

 「潰すこと」を目的としているかのような『システム強化機関』を次々に生み出しています。

 10歳にも満たない子どもが,遊ぶ時間を削られ,『システム強化機関』に「選別」され続ける実態を,村上春樹だったらどのように描いてくれるでしょうか。
 
 「弱き者」の側や人間の「弱い」部分に焦点をあてていく手法によって,どれくらいの人が自分を認める存在に変わっていったのでしょう。

 教育現場では,もっと「真剣なるでっち上げ」が必要かもしれません。

 私は,その成功事例をたくさん知っています。

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希望の党と絶望の党~劇場型デモクラシーの相克

劇場型デモクラシーの超克
藤井裕久
中央公論新社
2013-06-24



 「何のための解散か?」などと風当たりの強かった自民党に,思わぬ追い風が吹いている。
 
 一つは北朝鮮情勢。
 
 もう一つは某政党のドタバタ騒ぎである。

 解党状態にあるかのように見える某政党の「絶望」者たちが,「希望」にすがろうとしているのだが,国民の側からすると,こういうシナリオが成立する。

 次の選挙は,「リベラルを抹殺する」ためのものになると・・・。

 結局のところ,この国にとって「民主主義」とは何だったのだろう。

 グローバル化の波を乗り切るために,「強いリーダーがいればよい」という私企業の気風が,そのまま政治や教育にかぶってきた結果が,「今」であり,「これから」をつくっていくに違いない。
 
 新しいリーダーの出現を待望する機運をつくっているのは,先行きへの不安である。
 
 未来への希望が見えにくい時代に求められているのが「とりあえずの希望」だけというのも寂しい話である。

 紹介した本の「座談会」の中で,筒井清忠氏が述べている部分を引用させていただく。

私がとりわけ強調したいのは,歴史をみるとどうもこの国は,我慢して我慢して,不満が鬱積して,それが爆発するという展開になりやすいということです。だから小出しに不満を解消しておいたほうがいいような気がする。

 さらに一番よくないのは,「一挙に何か変えられる」という期待を,マスメディアが広げすぎることです。3・11の震災後に後藤新平(関東大震災ののち復興院をつくった)への高すぎる評価もそうだったと思うし,民主党政権初期の期待も高すぎた。自民党に政権が戻ったあとの安倍政権に対する期待も,危ういものがあると思うのです。「一挙にものすごくよくなる」幻想をみんなが持つと,幻想も強くなりよくない結果に結びつく。そんなに簡単に一挙によくなるわけはないんだということを,メディアはもっと提示して,国民に浸透させ,成熟した意識を作っていかないといけない。


 「成熟した意識」が育ちそうにないのは,育てられそうにないメディアをもてはやしている国民が多いためでもあるが,「一挙に何かを変えることは難しい」「一挙に良くなったことは,一挙にさらなる悪化を招きかねない」という経験をたくさん重ねるチャンスがあるのも国民の側である。

 「民主主義」を学習するための代償が高くつかないですむことを望んでいたい。


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成長できる人とできない人の違い~1Q84

1Q84 BOOK 3
村上 春樹
新潮社
2010-04-16


 スポーツ選手の場合は,さすがのイチローにも,体力の限界が訪れる日が来るだろう。

 小説家のような仕事の場合はどうだろうか。

 有名な作家の新作に対する評価を読むと,ファンの喜びやがっかり感がよく伝わってくる。
 
 1q84の場合,私なりの感想を述べれば,このBOOK3については
 
 B0OK3とかBO0K3が生まれていてもおかしくないと思われる。

 ストーリーの流れが全く異なる物語が可能であるのが,1Q84らしいところである。

 よい小説は,読者の豊かな想像力を刺激する。

 よい音楽や料理,絵画や建築などと同じである。

 よい教育にも,豊かな想像力が必要である。

 そして,豊かな想像力を育んであげることが重要である。

 人の成長を促しながら,自分自身も成長できる人間でありたいと,強く願う。

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道徳の教科書の「危険な内容」とは?

私たちの道徳 小学校5・6年
文部科学省
廣済堂あかつき
2014-06-27


 道徳の教科書の採択が進められている。
 
 ある教科書会社の小4の教科書には,授業中の発言でからかわれた子どもの事例が掲載されているそうだ(3月25日の日本経済新聞の記事より)。
 
 『いじめ』の事例を教科書に掲載し,それをもとに考えさせるような授業を行うときに,怖いことは何か。

 「私たちのクラスでは,もう,すでに,実行されてしまった『いじめ』の話でしたね」と子どもに思われることである。

 教師は実際のその場にいたのに,そのときは指導はなされなかった。

 先生は,道徳の教科書に出ている内容を,計画に従って,こなしているだけなのだ。

 なぜ「本番」でこの『いじめ』の内容を考えさせてくれなかったのだろうか?

 どうして教科書の中の子どもはいたわりの対象になるのに,私はならなかったのか?

 教科書に『いじめ』の事例を載せた人たちは,この話が『いじめ』の抑止力になると考えたのだろうか。

 なぜどこにでも転がっている題材を,わざわざ教科書の本文で扱うという「遠回り」をするのだろう?

 計画に従って,教科書どおりに道徳の授業を進めていくと,どんな子どもができあがるのかはまだわからない。壮大な実験がやがて始まろうとしている。

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「入試が変われば教育が変わる」は単なる幻想か~週刊東洋経済



 苅谷剛彦教授によれば,「大学を出ても英語は話せないばかりか,読めるようになっていない」とのことである。大学では,英語を英語のまま理解できるように,たくさん英語を読ませることが必要だ,と主張している。
  
 英語を読む機会がほとんどない人たちにとっては,「どうせ読む必要がないんだから・・・」という感想しかないかもしれないが,英語教育の世界では永遠の課題になっている。

 どうすれば英語を話せるようになるのか。

 どうしたら英語を読めるようになるか。

 どうしたら英語が聞き取れるようになるのか。

 「英語が聞き取れる」「英語が話せる」とはどういうことかを,苅谷教授はこう説明している。

発話の順に日本語に訳さずにそのまま理解できなければ,聞き取ったことにはならない

自分の意見を伝える(話す)ためには,訳すのではなく最初から英語で考えなければならない。この力を支えるのは,発音の巧拙よりも,私たちが日本語でやっているように,英語なら英語のまま理解し英語のまま反応する頭の働きだ。

 では,英語の意味を日本語で説明したり,日本語になっているものを英語になおしたりする教育を超えて,英語で英語を考えるような授業ができるようになるには,どうしたらよいのだろうか。

 朝鮮が日本の植民地になった後の朝鮮の小学校の時間割を見たら驚く。日本語の授業が週に10時間以上ある。当時は,どのような授業が行われていたのだろうか。

 週に3~4時間の英語の学習を,1日1時間ずつしているのでは,いつまでたっても身に付かない,という主張はかなり正しいのではないだろうか。

 現状では,ある程度の言語能力があり,根気があり,家庭学習ができる子どもだけ,英語の塾や教室に通う子どもだけがいい成績をとれるような教科が英語なのだろう。

 入試が変われば「学校の教育が変わる」というのはただの幻想に過ぎないのではないか。

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