教育失敗学から教育創造学へ   (読書編) ~子どもの教育に情熱をかける人々のために~ 

小学生と大学生の親です。 このブログでは,読書から得られた発見や視点を中心に,子どもの教育について考えていることを書き綴っていきたいと思います。

2018年03月

自発性を強要する教育が求められる時代性~アクティブラーニング



 アクティブラーニングが,実は「社会問題」を背景にしているという着眼点は優れたものです。

 自発性や主体性というのは,だれが何のために求めるべきものなのか。

 現状では,〈アクティブラーニング〉とは,授業に見向きもされない,学習の意義を感じさせられない大人たちが子どもたちを追い込むための「檻」に過ぎないと言うこともできます。
 
>これまでの日本の学校教育の歴史を顧みて言えば,〈アクティブラーニング〉の導入が試みられた時代こそ,ほぼ共通して,大人(国や社会)の一方的な希望や期待が子どもやその教育に非常に強く反映された社会でした。つまり,子どもを学びの主体や主人公とすることを教育の理念として掲げながら,そのじつは子どもを操作可能な存在とみなし,子どもに対して自発性や活動・体験への参加を過度に要求し,大人の意に従わせてきたとは言えないでしょうか。

 自発性が強要される(?)「学び合い」の授業を参観すれば,その違和感を確かめることができるでしょう。

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自立とは,依存先を増やすこと~モチベーション革命



 単に「モチベーションを向上させる方法」を探そうとしてこの本を開くと,タイトル通り,「革命」を促すための書として接しないといけないことがわかる。
 
 「依存」という言葉の意味合いも,「自立の妨げ」とか,「自立」の対立概念として想定しているだけでは,これからの社会は生き抜けない,と著書は主張している。

 脳性まひの障がいがある小児科医の方の「自立とは,依存先を増やすこと」という言葉が紹介されているが,依存先の選択肢が少ない人が不利になる場面は,これからの社会でどんどん増えていくだろう。

 世界では,「依存先をもつという強み」を学力の範疇に入れようとする動きまである。
 
 日本からすればそういう考え方は「革命」的である。
 
 自分の頭で考えなくても,答えを教えてくれる人が周囲にいる,という環境が,個人の成長にプラスに働くことを信じるのは困難なことであり,「評価」の捉え方も一変させる必要がある。
  
 つまり,大学入試でも,やがて,最も「上手にカンニングができる人」が合格できる仕組みになっていくのである。
 
 教育の世界の話は極端すぎるとしても,資源のない日本,経済的な活動のつながりが密接になった世界では,やがて「日本という国家」だけを依存先にしようとする「国民」が不利になっていくという社会が訪れる可能性もある。
 
 「国家」とは何か。「国民」とは何か。「個人」とは何か。

 「生きがい」とは何か。

 出所,作成者不明とされる図解が紹介されているが,時代の最先端の「コンピテンシーモデル」の一般化が始まるのも,そう遠い未来の話ではなさそうな気がする。

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世界を支配できるのはだれか?



 このような本が出版されなくなったら,世も終わりである。

 翻訳がとても読みやすかった。誤訳だと思われる部分も発見しやすかったのは,「知の巨人」の主張が明解だからなのだろう。

 政教分離という原則がなぜ大切なのか,教育現場にいる教師たちはしっかりと認識すべきである。
 
 世界はどう動いているのかを知るためには,何が報道されないのかを知る必要がある。
 
 指導者の意図は直接的には見えにくいが,政治が「個人の利益のため」の道具になっていることを考えれば,何がどうしてそうなっているかを想像することは容易い。
 
 教育の世界にも,「工夫」が必要である。

 大袈裟な「目標」を掲げてしまうと,「つぶされる」危険性があるのは明らかである。
 
 本当の「目標」は隠蔽しなければならない。

 教育と政治はお互いの「隠蔽合戦」で本当の「勝利」を競い合うことになるだろう。


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ピンチになると「悪役」を仕立てて難を逃れようとするパターン



>「悪」をつくり出して民衆の憎悪をかき立てるのは,かのアドルフ・ヒトラーもとった手法だ。

 「悪」=財務省の官僚,という図式で攻撃をしている人たちが見落としているものは何だろう。

 マスコミがその威信をかけて,冷静に「本当の悪」を見極めようとしていることか。

 前川氏の授業への文科省の「探り」についても,指示した政治家が特定されようとしている。

 官僚もバカではない。政治家の名前を出さずに,「不当な圧力をかけてきた元凶」を暴きやすい「仕掛け」をしてきたようだ。自身も「不当な支配」に当たる行為をしてしまったのだが,「事務方というのは,こうして国民の代表者のために動かされているものだ」ということを示すことには成功している。
 
 急落した支持率を取り戻すために,さまざまな「仕掛け」をしているが,成功しているようには見えない。そのことが,すぐに,日本の民主主義の信頼,国民の主権者としての自覚の素晴らしさを示しているとは言えないかもしれないが,うっすらとした希望は見える。

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公文書を主権者教育で扱う



 主権者教育のための教材を提供してくれそうな本である。

 「パブリックコメント」として政策への意見を行政側に伝えることが可能となり,審議を行う委員会などの議事録も公開されているため,意思決定の流れを踏まえて主張することができる。
 
 しかし,膨大な量の資料を読むだけでなく,コメント自体ができる時間がある人は限られていること,そもそも行政では,(政治家から指示されて実現させようとしている)政策の意図は基本的に秘密にするのが当たり前であることを踏まえると,「パブリックコメント」やそれを受けての動きも「形式的」であることが多い。

 行政は,できるだけ批判を受けにくくする方法(自分たちの余計な仕事を増やさずにすむ方法)を知っている。情報は,出せば出すほど批判や非難の対象になるものが増えていくから,できるだけ出したくはない。政策立案に携わった委員の側が,事務方が引いている既定路線に乗っかっているだけで,実質的な「立案者」ではない場合もある。こうなっては,「公正中立な委員の皆様に作ってもらった」という言葉は「虚偽」に当たってしまう。

 「主権者」の側にとっては,自分たちに都合の悪い情報が隠されていることを見破りにくくなっている。いかに行政から正しい情報を探り出せるか,という視点が,「主権者教育」の核心的な部分だが,考えてみれば,ジャーナリズムがそういう役割を果たさなければならなかった。

 今,「書き換え問題」で朝日新聞を攻撃していた人たちが尻尾を巻いて逃げたり掌返しをしている状況だが,ジャーナリズムはだれの利益のために存在するのか,それを忘れてもらっては困る。

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