上司の批判(陰口)を言ったり書いたりするときは,悪いことだけを選ぶのが普通だろう。
こういう上司のタイプは,こんな問題がある,あんな問題がある,などという雑誌の記事も多く見受けられるが,そもそも「タイプ」で人間を区別して理解しようとする思考こそが,問題であることに気づけない人は気の毒である。
こういう「タイプ」の人だから,こういうことを言うのだ,という発想の仕方はおかしい。
いつもこういうことを言うから,こういう「タイプ」に分類できる,というのならわかる。
人間は「タイプ」別に違うことを主張するものだ,とする発想は,コミュニケーションの貧困を生むし,そもそもコミュニケーションを拒絶してしまう可能性もある。
自殺した人が,上司からこんなことを言われた,と書き残しているとする。
それを読んだ人は,「なんてひどいことを言う上司だ」と思う。
しかし,書かれていること以外の言葉はわからないのであり,どんな風に言葉を伝え方もわからないのである。上司の人柄だけでなく,現場の空気観も当事者でないとわからないはずである。
学校現場でも,「言ったこと」「書いたこと」が原因で,特定の子どもがいじめの対象になることがある。しかし,その情報源が,対象となった子どもとトラブルを起こしていたり,もともと嫌いだったという場合,情報の信憑性にも問題があることを忘れてはならない。
よく,「褒めると伸びるタイプ」「叱ると伸びるタイプ」などという言い方もあるが,褒めるべきときは褒め,叱るべきときは叱るというのが当たり前のことである。
相手を叱っているときに,脳内で「快楽物質」が分泌される人がいる,という情報は,「快楽を得るために叱る上司がいる」という解釈を導く可能性がある。
「叱られることをしたから叱られたのだ」という自覚がいっさいできない子どもが増えているが,同じレベルのオトナが増えていってしまう気がする。
上司になってみればわかることも多いはずだが,常に問題を他人のせいにしようとする人間が増えていくにつれ,「責任」という言葉の重みがなくなっていくことを危惧している。
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