教育失敗学から教育創造学へ   (読書編) ~子どもの教育に情熱をかける人々のために~ 

小学生と大学生の親です。 このブログでは,読書から得られた発見や視点を中心に,子どもの教育について考えていることを書き綴っていきたいと思います。

2018年07月

独学と大学との戦い~日本人はなぜ存在するか



 文庫版には,単行本にはない「解説にかえて」という40ページ弱の文章が掲載されている。

 ここでは,筆者の「大学教員」としてのスタンスが語られている。

 大学の存在意義は,学生が知らない知識を与えることにあるのではない。

必要なのは,学生が知らない「知識・用語・概念」それ自体ではない。むしろ,独学の状態では検索できるようにならないものー既存の知識のあいだをつなぐ「新しいストーリー」のつくりかた,それまで自分が思いつきもしなかった「新しい視点」に立ってみる経験,それこそを大学で学ぶことの中心に,押し出していくしかないと思っていたのですね。
 
 理科系の人にも,こういう感覚をもっている教員がたくさんいてほしい。

 私の場合は,「選択によって不断にかたちを変えてしまう社会」というものの見方や考え方を教えてくれる中学校時代から教員に恵まれたおかげで,筆者と同じようなスタンスで中学校での社会科教師を続けている。筆者の主張に同意というよりは,そのような主張は当たり前すぎることである。

 子どもが自分なりのストーリーを描けること。そのストーリー自体が,様々な経験や教育の成果の総体であることを実感してもらうことが願いである。学校という場で学ぶことの意義を強く認識させたい。

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現役東大生は本を読んでいるか?



 今の教育の問題を,見事に反映している1冊だと感じた。
  
 内容よりも方法。深さよりも「要領のよさ」が大事。

 「地頭力」とは「素の頭の良さ」のことだそうだから,知識で頭でっかちになってはいけない,という教訓としては使えるかもしれない。

 ただ,入試に向かう力をつける方法としても使える一般的なことが書かれているが,学士や修士になるための読書法の話ではない。

 現役の東大生が学問探究とは別の「技能」で世の中に登場することが増えた。
 
 このこと自体を問題視する人がいるかもしれないが,「学ぶ」ことはいつでもどこでもできる,と考えれば,私のように大学で運動のために多くの時間を費やした人間の慰めにもなるだろう。

 1万人を超える学生の代表として,

東大生は何事においても「受け身」を嫌う

 という表現があるが,これは本当だろうか。

 この本には,引用したはずの参考文献が示されていない。

 「本の読み方」に関する本を,きっと筆者は相当数読んでおり,多くの知見を真似ている。

 「能動的」というのは,「自分の頭で考える」ということだが,「自分の頭で考えたことにする」というのとは違う。

 「どんな本を読めば,こういう本が書けるのだろう」と思う人の疑問には答えられないでいる。

 「読む力がつく」とは,こういうことなのか,という「事実」がわかる本を書いている人が,たとえば池上彰さんである。

 筆者が実社会に出た後に,この著書をどのようにふり返るのか,社会人になってからの成長ぶりを見てみたい。今,目指そうとしている教育の意義を見定めるための資料になるはずである。

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単純化を行動原理にできる教育とは?



 働き方改革などの「現状改善」をたとえばこの「2軸思考」で実施してみると,どのような問題が起こるか。

 改善すべき内容や現状の正しい認識ができなければ,まずは何も始まらない。
  
 難易度・影響度・優先度を考えるとき,人によって判断が異なる場合,何を「優先」すべきかをだれが決めるかを決めることも難易度が高い問題である。「声が大きい」という理由で「影響力」が強い人を優先させないようにすることも大事である。

 問題を解決しようとするとき,「部分の最適化」を図ることで「全体が崩れる」という「合成の誤謬」が起こらないように,バランス感覚を保つことが大切だが,これも実は非常に難しい。

 だから,「考える枠を決める」とか,「ムダに考えない」という「割り切り方」が必要になる。

 多くのリーダーは,この「割り切り」が苦手である。

 教育の世界では,「割り切り」に成功して実践を始めたところ,短期的には成功しても,やがて衰退していくという事態がよく起こる。教育現場は,リーダーが変わっても元通りにならずにすむ,という生易しい環境ではない。

 「割り切り」ができず,「だれでもできること」や「簡単なこと」から始めようとすると,いつまでたっても何も変わらない,という焦りだけ残してやがて問題を放置して去っていくリーダーもいる。

 日本で大切にされてきたのは,変えて失敗したときに,これなら仕方がない,と「多くの人」があきらめられる環境であった。だから大きく変えることができずに,「やる気」のあるリーダーが育ちにくかった。大きく変えて失敗したときに,責任をとらされるリーダーが消えていくのはいいのだが,残された私たちはどうしたらいいのかと路頭に迷う,そんな状況になってほしくない,と願う人が多いのである。

 「みんなで考えること」「みんなの感情をわかり合うこと」「空気を読む」を重視する従来型の社会と教育によって,「優先順位の低いことは捨てること」「重視すべき点に資源を集中させること」を決断できる環境を整えることは可能だろうか。

 「決める」=「一部を切り捨てる」ことが政治の使命,役割だと言う人がいるが,実際には,「ゆとり」のとき以外は,何でもかんでも詰め込んで,「全部やれ」と言ってきたのが役所である。

 教育の世界でできることは,管理職から教員,教員から教員,教員から子どもたちへの情報を伝える方法をまずは変えることである。

 「構造(全体像)」がわかる図,「問題点」が見えやすい図を多様したいところだが,実はこういう図はだれでも描けるものではない。描くのにも時間がかかる。また,そういう図が「わかりやすい」と感じる人は,そもそも構造や問題点が理解できている人,と考えることもできる。

 初めて見た人にもわかりやすい構造化・図式化を容易に行い,働き手が取捨選択できるようなプログラムをぜひ開発してほしい。

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すごい東大もやばい



 テレビで顔が売れた東大史料編纂所の教授が,「東大教授」という肩書きで,『やばい日本史』を監修する時代が来るとは,予想もできなかった。故石井進先生はいつも大変穏やかな方だったが,さすがに眉をひそめる事態ではないかと思われる。

 ただ,大学生ですら,ほぼ「すごい」と「やばい」で「感想」が成立するような時代に必要な本とは何かを考えさせられる。また,「国を愛する心」を育てるために歴史上の人物の「優れた業績」「社会に果たした役割」ばかりに目を向けることで,歴史への興味や関心を育てられない小学校の教育が対極にある現状の課題も意識させられる。

 歴史に関する本というのは,基本的に「ネタ本」の情報の使い回しだけで成立する。

 漫画とセットで売り出す流れもそれなりの期間続いている。

 「すごい業績」ばかりでなく,「やばい実態」を知ることの方が,変化の激しい時代を生き抜く知恵を得られやすいのではないか,という錯覚も感じてしまう。

 しかし,「実はイケメンではない」とか「戦は強いがイケメンには弱い」とか「戦でビビってうんこをもらす」などいった「やばさ」を「売り」の対象にしている本を東大史料編纂所教授が監修していることは,「何かが終わった」「大切なものが失われた」象徴的な事象に見える。

 「すごい東大」も「やばい東大」で売っていく時代になっていくのだろうか。

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手段主義に陥らないための「伝統」の力



 とりあえず,やめてみよう(否定主義)

 みんなで足並みをそろえよう(全体主義)

 しばらくは我慢しよう(手段主義)


 この3つで「改革」を進めることにより,結局は大失敗を招くかもしれないことは,歴史が証明してくれている。

 それなのに,せっかくの良き「伝統」を捨てて,わざわざ破滅への道を歩もうとしている組織はないか。

 筆者が語る「世界を変える方法」だが,実はポジティブであること,多様であること,現実を楽しむという志向があることを「伝統」として守ってきた組織もあった。

 そういう組織のうち,今は力強く存続しているものの,「とりあえず,やめてみよう」派からの圧力で「伝統」が脅かされているというところはないか。滅亡への道を選択しかけているところがある。

解放のための実践はそれ自体が解放でなければならない

 多くの人が疑問に思い,自分自身も信じ切れずに実践させられている方法に固執している人は,否定主義・全体主義・手段主義という三点セットの落とし穴にはまっている。そこには「出口」はない。

 レーニンが「オムレツを作るには卵を割らなければだめだ」と言ったのに対し,ダグラス・スミスは

卵は内側から破られなければならない

 と言ったことが紹介されている。

 卵を割ってしまう教師と,子どもが自分で上手く割れるように導く教師のどちらが必要かは言うまでもない。

 卵の内部生命を殺してしまうような改革は,阻止しなければならない。

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