教育失敗学から教育創造学へ   (読書編) ~子どもの教育に情熱をかける人々のために~ 

小学生と大学生の親です。 このブログでは,読書から得られた発見や視点を中心に,子どもの教育について考えていることを書き綴っていきたいと思います。

2018年08月

日本の子どもたちから創造性がなくなるまえに



 バナナに「訳あり品」がない理由がよくわかった。
 
 なぜ農産物であるバナナの規格は統一されているのか。
 
 それは,遺伝的に同一のものだからである。

 1950年にグアテマラでバナナを生産していたユナイテッド・フルーツ社の収益は,グアテマラの国内総生産の2倍(2割ではない)の収益を上げていた。

ユナイテッド・フルーツ社を始めとするバナナ産業は,あらゆる現代産業がやっていることをしていた。とにかくある一つのものごとを効率的に行なう(ママ)方法を発見することに集中していたのだ。

 品質に優れていて,よく育つバナナを大量生産するということは,多様性をなくすということである。

 しかしその種が弱い病気が流行ることで,すべてのバナナが壊滅する。

 同じことが別の作物でも各地で起こってきた。

 病気に強い種にすればよい・・・確かにその通りかもしれないが,「効率的」に利益を上げていく一方で,たとえばコーヒーが全滅したら茶にするといった企業の行動は,今の教育政策にまるごと当てはまる愚行の繰り返しのように見える。

 私企業が得意なのは,重点を決めてそこに資源を集中するという「効率」重視の行動である。

 他人(他国)の土地を借りて金儲けをしている人たちは,その土地がダメになったら別の土地を探せばよい,という発想ができる。

 教育でも同じようなことが起ころうとしているが,教育産業が得意とする場所とは距離を置いて,「多様性を守る」ことこそが国の役割ではないか。

 今は環境に配慮した経営をしないと株が売られる時代になったから,株主重視の考え方から「多様性」を守る取組をしている企業も増えてきているが,「環境重視」という判断が下せるのは「公共」の立場を優先できる政府しかない。

 入試科目にもならない高校の新「公共」が,そういうことを教えるのであれば,意味がある。


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大人の道徳?

大人の道徳: 西洋近代思想を問い直す
古川 雄嗣
東洋経済新報社
2018-07-27




 道徳の研究をしなければならないので,次々に「それらしい本」を読まなければならないのが苦痛だが,もっと苦痛なのは,その内容の「浅さ」による「退屈さ」が続くことである。
 
 大学生のレポートのような内容や,道徳教育の単位がとれる授業のような内容を紹介されても,現場で道徳教育を実践しようとする人間には,何も伝わってこない。

 だから西洋哲学とか,東洋思想を研究しているガクシャに道徳の話を聞いても,学校現場で起こっている様々な課題には対応しきれないという問題が長年続いている。

 『大人の道徳』という著書を宇佐美寛氏が読んだら,どのような感想を抱くだろう。

>念のために断っておきますが,私はかならずしも,これからの学校の「道徳科」や「市民科」の授業では,「市民は国家のために死ななければならない」と子どもたちに教えなければならない,などといいたいのではありません。(太字部分は,著書中でもゴシック体で示されている)

 内容から日本語の使い方に至るまで,「ゼロから」何を考える必要があるか,端的に指摘してくれそうな気がする。


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教育と文化資本

文化資本: クリエイティブ・ブリテンの盛衰
ロバート ヒューイソン
美学出版
2017-11-15


 「親の年収で子どもの学力が決まり,子どもの将来の年収も決まる」などと言われている現代の日本では,どのような教育政策が行われるべきだろうか。

 全国や自治体独自の学力調査に熱心に協力している小学校教育関係者は,次のような言葉をどのように捉えてくれるだろう。

共通善としての文化にしっかり関わることがなければ,公共領域は協力ではなく競争の原理で働く私的な利益によって分断され,断片化され続けるであろう。

 政府の立場からすると,

公共の文化的利益を法制化や経済的な介入によって代表する責任がある

 のは確かだが,

予想されるこうした介入の成果は違う角度から定義する必要がある

 ことは,実技教科の評定も行っている小学校教師ならよくわかることだろう。

文化は確かに美的な満足だけでなく社会的な便益をもたらすことも可能であり,文化を運営する経済的文脈も避けては通れない。文化的な価値は道具主義的な成果の存在を認識しており,量的な証拠と対立するものではないが,文化の基本的な価値は表現の意味を創り出す能力にある。この意味は文化を運ぶ形態の本質的な質に依拠している。文化組織が文化の本質的な意義とそれに伴う道具的な成果を上手に仲介する時,それらは社会資本という制度的な価値を生み出す。社会資本の主要な表現は信頼であり,公共領域の拡大に不可欠である。

 新しい学習指導要領に見える教育観の本質は,「公共領域の拡大」ではなく,「私的領域の充実」である。これは,社会の「分断」をもたらし,やがて「文化の壊死」をもたらすことになるだろう。「利益が上がらない文化」は捨て去られ,回復不可能となる。教育がまさにその「利益が上がらない文化」に分類されるようになってしまった。

 道徳の教科化や「公共」という高校の科目に最もよく示されている日本の教育政策の流れは,文化の本質的な意義ではなく,道具的な成果を重視しようとする「経済的価値」に依拠している。

 道具的な成果に敏感なのは教育産業であり,国の政策のおかげで収益が出せる仕組みもつくれるのだが,その恩恵を受けられる子どもと受けられない子どもの格差は開く一方である。教師でも簡単には解けない算数の問題をすらすら解けないと希望の中学校に入れない社会になっている。入試問題を解いてみればだれでもわかる大きな課題である。小学校の教育を受けているだけで解ける問題がいかに少ないことか。

 日本が抱えている様々な危機を回避するには,「数値で示されている量的な成果」で示される「経済的価値」で解決させようとするマインドを転換することが重要であり,「危機回避の政策の失敗」を他国がたくさん提供してくれているのだが,それに向ける「有識者」が果たせる役割が小さい。

 「恩恵」「利益」が経済的なものにより近い社会から,次のレベルに高める営みが「教育」なのだが。

 (世界人権宣言・・・外務省HPより)
>Article 27
Everyone has the right freely to participate in the cultural life of the community, to enjoy the arts and to share in scientific advancement and its benefits.
Everyone has the right to the protection of the moral and material interests resulting from any scientific, literary or artistic production of which he is the author.

>(和文)第二十七条
1 すべて人は、自由に社会の文化生活に参加し、芸術を鑑賞し、及び科学の進歩とその恩恵とにあずかる権利を有する。
2 すべて人は、その創作した科学的、文学的又は美術的作品から生ずる精神的及び物質的利益を保護される権利を有する。

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世界を変える以前に大事なことは



 政治哲学者が公共政策の問題に真剣に取り組んだ様子がうかがえる本である。

 著者特有の二重否定文の多用など,読みにくさに戸惑う人が多いかもしれないが,論旨は明確で,哲学者らしい話法がしっかりと翻訳されていると思われる。もう少し小見出しがあったりして,構成を工夫してくれたら,と思わなくもないが,「世の中の役に立とう」とする真摯な気持ちが読みにくさをカバーしてくれている。

 著者から学ぶべきことは,「もっと自らが住む世界を解釈することに力を入れるべき」という態度である。

>(道徳哲学者たちは)社会のいまのあり方がそもそもなぜそうなっているのかを,探究し損ねることがある

 「政治哲学者たちは,善くかつ正しい社会の最善のモデルを考え出そうと互いに競ってきた」というが,これを教育の世界で言えば,「教育学者たちは,善くかつ正しい(あるいは少しでもまともな)授業の最善のモデルを考え出そうと独自性を競っている」面がある。たとえば,「一斉授業」を「悪」と見なし,学力向上を損ねているという前提から別の「最善のモデル」を主張している。

 そもそも「一斉授業」とはどのような授業を指している言葉なのか。自分の都合のいいように非常に限定的な意味で「一斉授業」を捉えて,「一斉授業」=悪というイメージを拡散している人間はいないだろうか。チープな本に書かれている「一斉授業」のイメージは,自分の学生が実習校でやっている程度のものか,大学での自分自身の授業そのものであったりする。子どもたちが黒板に示された課題を自由気ままに調べ,わからないことがあれば教卓に置かれた教師用の指導書を確認して理解する,などという恐ろしい「指導案」が提案?されたりもしている。

 未来がどうなるとかではなく,いまの教室の子どもたちの実態がどうであるかに関心をもって実践をしている人間に対して,「すでに効果のなさは実証済み」などといって「一斉授業」による教授法を否定するガクシャがいる。

 現状把握の必要がない「理論重視」の姿勢をもった人間ほど,教育の世界で役に立たないものはない。

 かつては,役に立たないものの代名詞だった哲学者が,それなりの存在感を社会で示せるようになった国と,相変わらず「学会」などの狭く閉じた空間での表彰をひけらかすしかできない人間が教師を育てている国との違いは大きい。

 結論の章で,マルクスの墓石に刻まれた,『フォイエルバッハに関するテーゼ』の終わりにあるスローガンが紹介されている。

>哲学者たちは世界をさまざまに解釈してきただけだったが,大事なことは世界を変えることだ

 解釈が誤っていたり,一面的であった場合,どんな方向に世界が向かっていくか,その危険性を一番よく分かっている国はどこだろう。また,その壊滅的な結果をこれから味わう国はどこだろう。

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兵士向けの食料が日常世界でも

戦争がつくった現代の食卓-軍と加工食品の知られざる関係
アナスタシア・マークス・デ・サルセド
白揚社
2017-07-04


 「食育」の幅を広げると,加工食品と素材から手作りで提供される食品のどちらをどういう風に選ぶか,という「判断」をせまられるところに来る。
 
ネイティック研究所は兵士の装備品や食糧の研究開発を行う施設である。戦時には極限状態に置かれる兵士にとって,体力を維持して士気を高めるために食事がもつ意味はとても大きい。栄養と味だけでなく,戦場という特殊な環境では輸送や保存にも特別な条件が求められる。そのため軍にとって食品の加工技術の研究が必須となり,その成果は兵士の食べ物にとどまらず,やがて市販用食品にも転用されるように・・・(訳者あとがきより)

 缶詰の起源を知っている人は多いだろうが,多くの加工食品と戦争の「縁」を細々と示されてしまうと,複雑な気持ちになる。

 ローマ帝国を築く基礎となったのが,乾燥ハム,ベーコン,ソーセージだった,という話にも興味を惹かれる。

 科学技術の博物館などで売られている「宇宙食」を口にしたことがある人も多いだろう。

 戦争は,多くの「産物」を残している。

 加工や包装のコストがかかっても,時間や食糧のムダを減らし,人々の生活に与えてくれるゆとりの価値は大きい。

 「正しい知識」を獲得することの重要性は,特に「食」に関するテーマなら説得力を得やすい。

 日本の「歴史教育」が,もっと幅のある,豊かなものになることを願っている。

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