教育失敗学から教育創造学へ   (読書編) ~子どもの教育に情熱をかける人々のために~ 

小学生と大学生の親です。 このブログでは,読書から得られた発見や視点を中心に,子どもの教育について考えていることを書き綴っていきたいと思います。

2018年09月

新聞の人物評価に見る「記者の知性」



 人物の評価というと,私が一番心配にしているのは,日本の受験国語,国語教育,道徳教育である。
 
 ある特定の場面におけるごく限られた言動から,その人物の「人間性」を評価する癖がある。

 特別な状況下における心理を反映した感情や行動の変化はだれにでも起こりうるものであり,人物の性格とか人間性の全体像を示すものではないはずなのだが,「いじめ」の問題に見られるように,「悪口を言った」=「最低の人間」という悪い評価が,「無視されて当然だ」という価値観や具体的な「いじめ」の行動に結びついてしまったりする。

 「人間性」「人物評価」について,最も「知性に欠ける」と思われるときがあるのは,新聞・雑誌等の記者の文章にふれたときである。

前川(喜平)氏に対する新聞の評価というのは面白いですね。産経と読売は,「変な人が言っているから,言ってる内容も変だ」。朝日は,「立派なことを言っているから,言ってる人も立派だ」。でも,そうじゃないですよね。本当は,「変な人が立派なことを言っている」なんです(笑)。女性の貧困を調べるために,お持ち帰りのできる歌舞伎町の店に行く必要は全然ない。だから間違いなく変な人です。ただし,加計学園の文書については真実を語っていた,という話ですよ。(佐藤優氏)

 「読売に記事を書かせた」とされる官房長官が狙っていたのは,「変な人」の言うことは「おかしな内容」「ウソ」に違いない,と感じる「程度の低い国民の脳」を利用することだったのでしょう。「立派な人」(=政権に堂々と楯突ける人)という印象を強く示したい新聞も,利用しているものは同じ。

 本当の「知性」なら,「これだけの情報では,言った人物がどういう人かはわからない」というのが正解でしょう。だから「裏をとらず」「限定された情報のみから」「人間性を評価する」という道徳教育を受け続けたり,国語の問題を解くのが得意になるほど,人間としての「知性」は失われていくわけです。人は,他人を評価するのにもっと慎重であるべきでしょう。自分が道徳の評価を受ける身になれば,だれでもわかることだと思いますが・・・。

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教育の規制と自由化

超スマートエネルギー社会5.0
柏木孝夫
エネルギーフォーラム
2018-08-27


 日本では,細かいところでのわかりやすい規制は受け入れられにくい代わりに,大きな規制は楽に通ってしまう。自由化の流れも,どうでもよい身近な自由化はどんどん進むが,大きな自由化の流れは通りにくい。
  
 東京一極集中,「政府」絶対主義という日本の課題は,「地方・地域軽視」という弱点克服の足枷となっている。

 教育の世界では,学習指導要領が定める教育課程の弾力化など,もっと大きな自由化の流れが重要である。特に,国際競争に勝とうとするならば。今までのように学習指導要領による大がかりな規制がかかっている教育現場における「管理」のうちで,最も重要なのは「時間」である。「できたかできないか」ではなく,「時間を確保したかどうか」が重要になっている。こういうことをやっているうちは,時間はとっているけどできない,という子どもの自己肯定感を奪うような学校でしかない。

 日本では,まだまだ「集中」から「分散」へという世界の潮流に乗る土壌にない。

大規模集中型という従来のシステムを変え,各国,各土地の地域エネルギーをうまく取り込んだ都市・街づくりを進めていかなければ,パリ協定の達成は不可能

 という著書が提言する地産地消システム構築のための7つの改革提言に向けて,国交省や経産省だけでなく,官邸がその気にならなければ,やがて日本の「地域」は死んでしまう。

 残念でならないのは,こうした改革提言のどれもが,まともに実行に移される気がしないことである。

 教育の世界でくすぶっている「地域の人材」たちを,私はいくつかの国立大学附属学校で見てきた。

 「どうせこんな田舎で」と口走る中学生に,もっと教えるべき大切なことはないのか。

 日本にはまだ,150年前と変わらない精神構造が残っており,人材育成の足枷になっていないか。

 ほとんど似通った研究を「させられて」,同じ人物を講演会で「使い回して」いる附属学校の未来は,相当暗いのではないか。 

 未だに中央への人材供給システムに組み込まれている地方の子どもたちを救える場所はないのだろうか。地方の未来が日本の未来だ,という認識がやっと広がるのは,首都直下型地震による統治機能壊滅後の話になってしまうのだろうか。


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前川氏も寺脇氏もダメ出しする道徳教材『星野君の二塁打』

前川喜平「官」を語る
前川 喜平
宝島社
2018-07-12


 
 本書でもふれられている,道徳教材『星野君の二塁打』へのツッコミがネット上でも見られた。

 日大アメフト部と同列にしては,物語の作者にもさすがに失礼だろうが,「決勝打を打った子どもが,監督の指示に従わなかったという理由で罰を受ける」という題材である。

 小学校の道徳の教科書には,

星野君のとった行動(バントのサインを無視してヒッティングをすること)をとおして,きまりを守り,義務を果たす(監督のバントのサインに従う)ことの大切さを考える。

だれもがきまりを守らず,義務を果たさなかったら,どんな世の中になるでしょう。

 という「学習の道すじ」が示されている。

 この題材からは,「たとえバントを失敗し,チャンスの目がつぶれても,監督の命令に従ったのだから,だれも悪くない」ことも学べるのだろうか。修身の復活と呼ばれる所以がよくわかる。道徳の教科化という人災に対して,どのような減災対策がとれるだろうか。

犠牲の精神が分からない人間は社会に出ても,良い仕事はできない

 という教訓は,「あるものをなかったことにする」=良い仕事,「あるものをなかったことにはできない」=悪い仕事という風に解釈されるのだろう。

 「監督の命令(ランナーを進めること)を見逃したことにして,より高い目的(相手に試合で勝つこと)を達成すること」は評価されないという価値観を教えられることで,せっかくグローバル人材になる資質能力をもった子どもも,スポイルされているのだろう。

 監督やリーダーの命令には絶対服従,という精神は,やはり戦場でコマになる人間の資質能力としては重視すべきものである。

 今の小学校教育はここまで「命令への服従の精神」を植え付ける指導をしないと,成立させられない状況になっているのだろうか。

 違法再就職斡旋や子どもを裏口入学させる「偉い人たち」がいる組織が問題になるから,「世の中をいい方に変えよう」とする道徳心のある人が生まれます,という「答え」は小学生からは出てこないだろうが・・・。

現在の政権になってから,全体主義的な方向に向かう流れは私も感じています。たとえば今年(2018年)から,小学校において道徳の検定教科書が導入されていますが,憲法の範囲を逸脱していると思われる内容が多く含まれていて,果たして「これが正しい価値観だ」と子どもたちに教え込んでいいものなのか,疑問に思いますね。

 こうした道徳教育から子どもたちを守るための防災対策が求められる。

危ない「道徳教科書」
寺脇 研
宝島社
2018-09-01



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居眠り運転=飲酒運転?



 次のような話は,教習所でもぜひ教えてほしい(私は教習所でも,学校の保健の授業でも聞いた覚えはない)。

睡眠不足の脳は,いろいろな点でアルコールの影響を受けた脳に似た反応を示す。

目と手の協調が必要な作業では,覚醒している時間が一時間たつごとに,血中アルコール濃度が0.004パーセント増えるのと同じだけの遅れが生じる。

 教師の私も,睡眠不足が原因の「キレの悪さ」を授業中に経験したことがある。

 いずれ,呂律がまわらなくなるとか,脳梗塞の予兆でも始まったら,「現役引退」も考えなければならない。

 若いうちはよかった・・・ともうかなり前から思っているが,自動車運転の場合,睡眠不足の影響は,年長者よりも若い人の方が大きいらしい。歳をとれば,睡眠不足をコントロールする能力もついてくるらしい。

 睡眠を科学する方法は様々あるようだが,「心の大掃除」という機能は本当にありがたい。

 消せない記憶もあるが,教員として,親として,心が整った状態でいつも子どもたちに接していたい。


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貧しい人を助ける理由



 「海外への援助」を取り上げる場合の各教科のアプローチを仕方にはどのようなものがあるだろうか。
 
 特別の教科である道徳には,それらをすべてつなぎ合わせる役割を担わされている。

 「感情」で子どもを動かすのはそう難しくないが,「感じる道徳」から「考える道徳」に変わることが「教科」としての存在理由だと考えられるわけだから,道徳なりの「多面的な見方・考え方」があるはずである。

 こういう例を挙げるまでもなく,これからの「道徳」には「足場」が必要である。

 「綺麗事」で澄まされないのが社会であり,人間である。

 欧米では,「反移民主義」の立場をとる政治団体が力をつけてきている。

 日本人の多くは江戸時代以前から「反移民主義」である。
 
 「金持ち」にさらに「金儲け」させる企業もあるが,「移民政策」は,「国際貢献」にもつながるもので,いかに人々がWin-Winの関係を築くことができるかを理解し,その意義を踏まえて賛成意見を増やすことが課題である。

 社会科と道徳科の接近に危惧を抱いている人も多いようだが,下手に距離を置くことで,事態が悪化するのを指をくわえて見ているべきか,抱き込んで「生かす」ものにできるかという問題意識と,「移民政策」の扱いは相似形である。

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