反教育論 猿の思考から超猿の思考へ (講談社現代新書)
泉谷閑示
講談社
2013-03-29


 この本に書かれていることは,かなり「耳の痛い」話ばかりです。

 受験を目前にしている子どもやその親にとって,今はこの本を読むタイミングではないかもしれません。

 しかし,あえて,こういう時期だからこそ読んでおく,という考え方ができるようになってしまう本でもあります。

 早期教育の危険性について,『風姿花伝』で有名が世阿弥が,『至花道』という別の秘伝書で説いていた内容が紹介されています。

 著者の言葉

>幼いうちから子供を「調教」的に教育することは,技能習得だけを考えれば効率的に思えるかもしれないが,本人の中から自然に生まれるはずの好奇心や主体性の芽が摘まれてしまい,のちにどんなに技術が向上しても,質的には主体性の欠如したものになってしまう危険性が高い。

 世阿弥の言いたかったこと

>そのように主体性のない芸を「無主風」と呼び,そのようなものは決して観客に感動を与えられる生きた芸ではない

 ピーター・ブルックという人が書いた「少年期に受けた教育」の話はもっと辛辣です。私は教師として,心してこのような「訴え」を聞かなければなりません。

>実のところ,大人の世界はがっかりするものばかりだった。教職というものは,ジャーナリズムや出版業界に就職できない大学卒業生の最後の選択肢だということがすぐにわかった。図画の教師は,生徒の目を委縮させ,手先を不自由にしたし,唱歌の教師は,生徒の声をつまらせた。地理の教師は世界を画一で無味乾燥にし,聖書の教師は驚嘆する心を閉ざし,体育の教師は体の動きを喜びではなく罰にした。