受験産業とは,「成長」のメンタリティーを「保存」している「唯一の業界」ではないか,というのがこの本を読んだ最初の印象でした。
志望校を選ぶ親御さんたちは,何を基準にして我が子の進学先を選んでいらっしゃるのでしょう。
「とりあえず高い偏差値を出しているから,一番それが高いところを狙わせよう」
という方も,少なくないと思います。
子どもの「成長」のイメージが,迷いもなく描けるように仕組まれているのが,現在の受験産業かもしれません。
こういう「成長」イメージは,多くの産業界では「過去のもの」となっています。
グローバル化は成長のためというより,現状維持のためにやむを得ない選択肢になっているという業界もある。グローバル化によって息の根が止められかねない業界もある。
実は「受験産業」というのは,グローバル化の波をかぶらないですんでいる産業という一面もあるんですね。
国内にいる優秀な子どもを取り合って,競争させているだけですから。
上の本は,受験産業の広告のことを取り上げようとして紹介したわけではなく,
広告の「差別化」が目指している本当の意味を考えることにあります。
ある殺虫剤のCFに対する著者の言葉が印象的です。
>なぜ,そこまでナンセンスに徹するのか。おそらくそれは,ありもしない商品の品質や性能をまことしやかに語ることこそナンセンスだと,川崎さんは思っていたからではないかと,ぼくは見ています。つまり,このCMは,差異化の袋小路で立ち往生している世の広告をせせら笑っていたようにも見えるし,広告の本来の目的を否定あるいは無視することで,広告のより次元の高いものにしていたとも言える。あるいは,広告が行き着く一つの終着点を率先して表現していたと言えるかもしれません。
東大合格何人,という数字の意味を,今一度,考えてみるきっかけになるといいですね。