教育論議の不毛な対立を防ぐ「原理」を教えてくれましたが,
現場にいる教師たちが,なぜ教育学者を頼りにしないのかというと,
それはただ相手が「現場にいない」からだと言ってさしつかえないでしょう。
現場で起こっている様々な問題への解決策を,
教育学者というのは「きれいな言葉」で提示してくれます。
しかし,現場の実態というのは,そんな言葉でどうにか動かせるほど単純ではありません。
AとBという全く異なる方針が,
CではAがうまくいき,DではBがうまくいく,ということが平気で起こります。
しかし,少し状況が変化したCでは,もはやAではかえって悪化する一方で,
Bでも救いようがなくなる,なんてことも,次々に起こります。
何か物事を一般化,抽象化して,
「こんな原則で・・・」などと表現したら,現場では一巻の終わりです。
次のようなご指導をいただくことに,どのような「意味」があるのでしょう。
>教育の方法は,目的と状況に応じて柔軟に選択・創造すればいい
これでは,何も聞かなかったのと同じです。
教育学者の存在意義はどこにあるのでしょう。
この本を読んで,ますますそれがわからなくなりました。