英会話不要論 (文春新書)
行方 昭夫
文藝春秋
2014-10-20


 小学校英語の導入は,日本人の言語能力を
 
 損なう結果になる・・・・科学的に証明されても,

 国の政策は変わらないかもしれません。

 英語の意味を解釈するのに,日本語で何というか,

 その候補は何で,どの日本語が最も適しているか

 がわからない人に,英語でのコミュニケーション

 がとれるとは言えない,ということです。

 私が強い印象で覚えているのは,大学1年の

 英語の授業で,講師だった人が誤訳をしたこと。

 その講師は英語は話せるのかもしれないけれど,

 日本語の語彙が乏しく,正しい解釈ができていない

 ことに,いらだちを感じました。

 英語に堪能だから英語の講師ができているのでしょうが,

 日本語の部分がひどい,という人が「英語の教師」

 でいられるというのが当然の世の中になりそうなのが,

 小学校英語必修の流れです。

 I am a Cat.  という英語で,夏目漱石の小説の意味は

 理解してもらえるのか?

 そういう心配ができるような人が,

 「英会話が苦手」「英語が苦手」という感覚をもてる

 わけです。

 異文化の人々の言語を,抵抗なく受け入れて

 話せる人を増やすことは大切なことかもしれませんが,

 それを自国の文化の理解~その最も重要なことが

 日本語の理解であるわけですが~を犠牲にして,

 異文化の言語を学ばせるという教育政策は,

 宗主国に媚びる植民地の現地経営者根性のようだ

 と言わざるを得ません。

 この I がさしている日本語と,『ガリヴァ旅行記』の

  I は同じようなものであるはずだ,

 という感覚をもてる人ではないと,

 英語というのは実に薄っぺら・・・それでいいのですが

 ・・・な言葉という印象が強くなります。

 薄っぺらだからこそ,英語を母語としない多くの人々が

 使えるのだなあと思うわけです。

  つまり,英語を話せるようになることは,それほど

 難しいことではないわけです。しかし,母国語への

 感性が高い人ほど, 「英語をぺらぺら話す危険性」

 を肌で感じられるのです。

 では,日本人は英語を学習しなくてもよいのか。

 もちろんそうではありません。

 日本の文化を学ぶのに最も有効な方法の一つが

 日本語を学ぶことであるように,異文化を学ぶ方法の

 一つがその国の言語を学ぶことです。

 「使えることが大切」な会社に入るときに,最低限の

 語学力がついていれば,あとは会社にいるときに

 必死に学べばいいのではないでしょうか。

 それが給料や昇進に反映されるとなれば,

 必死で習得できるようにがんばるでしょう。

 ほとんど入試のためだけに学ぶ英語で,モチベーションが

 持てる人は少数です。
  
 楽天やユニクロの「大実験」が,

 「実は英語を話せるようになることよりも,

 日本人に不足しているという懸念があった

 思考力・判断力・表現力・・・もちろん自国の言葉の

 ・・・が身についていることの方が大事だった」

 ことを証明してくれるようになれば,

 学校英語の動静にも影響を与えることに

 なるのでしょうが・・・・。

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