韓国が小学校3年生から英語の授業を導入し,高学年には週3回学習させることで,英語力を向上させている。

 こんな話を聞くと,あわてて「日本でも小学校から英語を!」と叫ぶ人が出てくる。

 一方で,「本当の日本語活用能力を育成するべきだ」という主張も出てくる。

 「世界史が大事」という声が高まって,世界史必修になっても,

 ごまかし未履修が当たり前になると,「日本史が大事」の声におされ初めて,

 最後には「日本史と世界史を一緒にしてしまおう」という話になる。

 「世界史」がただの「ヨーロッパ中心の各国史の足し算」に過ぎないため,

 ここに日本史を加えても,2冊の教科書の本文が継ぎ接ぎされるだけになるだろう。

 さまざまな主張が「足し算」されることによって,「どうでもいい改革案」になっていく。

 これからの日本の教育改革は,「一律」からどう脱却するかにかかっているように思う。

 一時期人気を集めたスウェーデンの教育改革が失敗しているという話を上記の本で知ることができた。

  世界の教育トレンドは,「詰め込み型」と「考える型」に二分化されているようだが,

 「詰め込み型」の韓国では大学を卒業しても就職できず,

 「考える型」のアメリカでは大学の中退率が高くなっている。

 明らかな「失敗」のかたちを避けるために,おそらくこれからも日本の教育改革は

 「大失敗」と言われないための道を歩み続けるだろう。

 もし日本国内で2つの型を実験的に並立させたら,

 「詰め込み型」の大勝利に終わってしまいそうだ。

 「考える型」でドロップアウトすることの悲惨さを避けようとするため,

 学校が中途半端な「詰め込み型」に終始していることで,

 「詰め込み型」を基本とする教育産業の存在感ばかりが目立っている。

 ある教育産業では「考える型」にシフトするチャレンジを行っているが,

 私の目で見る限り,まだ「中途半端な詰め込み型」の域を出ていない。

 試行錯誤の上に,新たな「型」を出現させることはできるだろうか。

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