道徳の教科化,そして文章で書くにしろ,教師が「評価」をする仕組みに変えるという点について,
多くの人が気づいている「欠点」があります。
それを三島由紀夫が「愛国教育への反対」という姿勢で示してくれていたことを,
著者が紹介してくれました。
「右翼だからこそ,愛国教育を徹底否定した」
「右翼(主意主義)とは,損得勘定を超えて,内から湧き上がる力を愛でる立場である」
>愛国教育であれ兵役であれ,国への貢献(に向けた教育)の義務化を提唱する輩は,「損得勘定ならぬ,内から湧き上がる力」以外は実際には愛国には役立たないというギリシャ以来の知恵を,ないがしろにする無教養な田吾作に過ぎない。それが三島の考えでした。
表面的にだけ,道徳的に正解だと「見取り」をされるような行動をとり,
「見取り」をされない場では,本能のまま行動する人間・・・・・
まだ,表面的にだけでもましにしたいという考えの人が多いのでしょうが・・・・・・・
道徳教育の最大の欠陥にメスを入れる人が出てきてほしい。
評価があるからではなく,評価などされなくてもできる力が道徳には必要なのですよね。
次の一節は,教師にとっては耳の痛い話です。
>総理大臣の質だけでなく,日本の教員の質も考えましょう。そうすれば,道徳で成績をつけることを制度化するという施策が,「一番病」「優等生病」のインチキ愛国者を量産する結果を反復してしまうだろうことは,もはや明白すぎるはずです。
明白すぎる・・・・英語に訳すと,「これより明白なものはない」という意味の言葉になるのでしょうか。
文章はとても明快で読んでいて疲れませんが,
自分自身が批判している相手にとても似ていることにお気づきなのでしょうか・・・。
教育問題・教育論 ブログランキングへ