読んでいるだけで腹が立つ似非「アクティブ・ラーニング」本がどんどん増えている一方で,

 「教育課程研究会」という全国にいくつあるかわからない団体の関係者が持論を寄せている本書は,その「教育観」の一端が垣間見えるという点で,意義のあるものである。

 実際には,もう二十年以上前から言われ続けている内容も多いのだが,いくつか紹介しておきたい。

>かつて「教育」と言えば,単に「生徒たちに何かを教えること」を意味していた。しかし,今や「教育」と言えば,それは,「ますます不確かで,移ろいやすく,先が見えなくなっている社会という海で,自分たちが進むべき海路を見つけるために頼りとなるコンパスや航海術を生徒たちが確かに磨けるようにすること」を意味する。(OECD教育・スキル局長 アンドレアス・シュライヒャー)

 明治維新や占領下の日本人も同じ感覚だったと思うが,日本は「海外に学ぶ」という方法で外国と肩を並べるところまで成長できた。

 未だに教育界では外国の教育書の翻訳に熱心だったり,物マネがさかんだったりするが, コンパスや航海術をもっていない教師が,子どものそれを磨くことが可能かどうかを実証できた人はいるのだろうか。

 アメリカの公教育の崩壊状況を報告してくれた本が出版されている。

 「海外の物マネ」ではなく,「寺子屋」のような教育が成果を上げている足もとをしっかり見ておくべきだろう。

>アクティブ・ラーニングは,知識が行き詰まり,急速にその価値を落とすような世界から,コミュニケーションや協働力が高まり,増えていくような世界に,学校を変える。(同上)

 ヨーロッパで引き起こされた2度の大戦ほど,それまでの価値観を一変させた出来事はないだろう。

 ヨーロッパの学校は,移民や難民をどんどん受け入れる土壌をつくっていく母体になろうとしているのだろうか。

>企業人が身に付けた知識をどのように生かして,絶えず変化する実社会の中で意思決定を行っているのかを知ることは,子供たちにとって大きな刺激になるだろう。(中教審会長・株式会社三井住友銀行取締役会長 北山禎介)

 生き残る「企業」があれば,「敗者」となる企業もある。企業世界の「勝者」の論理だけで,子どもたちは救われるのだろうか。

>次世代を育成する学校教育では「生きる力」を育む中でリテラシー(いわゆる「読み書き」のような基礎・基本)の習得を掲げているが,激変する実社会においては,身に付けたリテラシーを社会生活で活用・応用して「生きぬく力」=コンピテンシーへと変換するプロセスが不可欠である。(株式会社キャリアリンク 代表取締役 若江眞紀)

 もともとコンピテンシーは,企業で高業績をあげる社員の行動特性を意味していた。

 企業は,「高業績を支える人材」がほしいのである。自社の生き残りのために。

 社会生活でリテラシー活用・応用するための基礎は,「失敗をさせてくれる機会づくり」にあると思われる。

 いくらクリエイティブな活動が好きな子どもでも,失敗が許されない企業でつぶされたら意味がない。

 ・・・・学校教育への期待はわかるが,企業ができないことを学校にだけ求められても困るという話である。


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