「がんばらない」というカテゴリーの本が十分に存在意義を果たしている理由については,わざわざ語る必要もないだろう。
「がんばる」ことに先にあるものが,必ずしも「望んだもの」であるとは限らないことは,人生の先輩に聞けばいくらでも体験談を教えてくれるはずである。
「がんばる」基準として最も怪しいのは,国が政策として用意した「がんばる場所」である。
日本の大学は,少子化の影響で,学生数が減少する危機を抱えている。
その問題を解決する手段の一つが,大学院を設置し,大学院生を増やすことにある。
大学院を出たからといって,「望んだもの」があるわけでもないことは,言うまでもない。
「大学」を救うための政策であって,「大学を出る人」を救うための政策ではないのだ。
教職大学院や法科大学院ですら,似たようなものである。
一度,教育の「博士」たちだけ集めた学校をつくってみたらどうだろう。
もし,「大学院」が社会にとって有益な人材を育成できない場として証明されてしまったら,目も当てられない。
紹介した本の著者をはじめとして,「大学院に進学することよりも就職する方が賢い」と考える人には,それなりの根拠があるからである。
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