近代日本の特徴を,「主体性,自主性,創造性に欠け,他者依存型の体質をもった国家と国民を育てた時代」と一言でまとめるのは寂しい気もするが,特に指導層に対する著者の評価はとても厳しい。

>視野狭窄とも言える戦術的観点のみに終始し,長期的な展望にたってする判断力の欠如

>全てにおいて状況に流され,そして状況に追われ続ける間に,本来歩むべき方向を見い出せず,隘路にはまり込んでいき,負の連鎖を断ち切れないでいる指導層の限界


 人間は,追い込まれることで初めてその実力を発揮できるようになるところがある。

 日本では,敗戦が一つのきっかけであり,東日本大震災も同様のきっかけであった。

 そこで発揮できたのは「自主性」「主体性」だったのか?

 アジア太平洋戦争で発揮された「主体性」は,国全体としてのものではなく,「自分たちの組織」を守るためのものだった。組織の「独立性」の高さは「権力が集中し独走しない仕組み」として機能していた面もあったが,国としての「主体性」を損なうことになった。


 長期的な展望に立った方針のもとで,現状を大きく改革するという原動力は,民主主義の国家体制では持ち得ないのだろうか。

 歴史上では,「民主主義は指導者が責任を負わずにすむ政治形態だ」と批判していた独裁者がいた。

 大きな失敗を経験するが,「壊滅」だけは避けられる,というのが民主主義なのだろうか。

 新しい世代が「民主主義」を捨てるような国にならないことを願う。

 
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