どこかの大学教授が,ブログで「法令に書いていないんだから,何をしてもよい」と主張しているのを読んだ。

 自著の宣伝にはことの他熱心で,この上ない「浅ましさ」を感じるが,問題はそれだけではない。

 多くの人にとって理解されることが難しいものの,自分がこだわっていることの正当性を訴える姿が何に似ているか,考えてみた。
  
 『帝国憲法物語』では,憲法の精神が生きているイギリスの話題が紹介されている。

>イギリスは数百年の歴史をかけて,慣例を蓄積しているからこそ,憲法習律を破ると制裁が待っていると憲法の担い手である政治家たちが自覚している
 
 憲法の習律違反に制裁を加えるのは国民である。
  
 伝統のない日本のような国では,権力者たちを習律によって縛ることができない。
  
 むしろ国民の方が縛られているような国である。

 「絶対多数党不在議会」となった場合,どうするか。

>日本ならば,「日本国憲法の条文に違反しなければ何をやってもよい」とばかりに多数派工作が行われただろう。平成初頭の政権交代では,第五党で議席率十分の一にも満たない政党の党首にすぎない細川護熙が総理大臣になった。その直後,第一党で野党の自民党が四十年間の宿敵だったはずの社会党を与党から引き抜き,第二党党首にすぎない村山富市を首班指名で選んだ。
  
 多数派になるためには何でもやる,というのは野党の世界にも見られている。
  
 天皇制廃止を主張する政党と手を組もうとしている野党第一党に未来はあるのだろうか。

 「すべての人を救います」なんていう政党が登場しても,「お前自身が最も救われない人間だろう」で終わるに違いない。

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