劇場型デモクラシーの超克
藤井裕久
中央公論新社
2013-06-24



 「何のための解散か?」などと風当たりの強かった自民党に,思わぬ追い風が吹いている。
 
 一つは北朝鮮情勢。
 
 もう一つは某政党のドタバタ騒ぎである。

 解党状態にあるかのように見える某政党の「絶望」者たちが,「希望」にすがろうとしているのだが,国民の側からすると,こういうシナリオが成立する。

 次の選挙は,「リベラルを抹殺する」ためのものになると・・・。

 結局のところ,この国にとって「民主主義」とは何だったのだろう。

 グローバル化の波を乗り切るために,「強いリーダーがいればよい」という私企業の気風が,そのまま政治や教育にかぶってきた結果が,「今」であり,「これから」をつくっていくに違いない。
 
 新しいリーダーの出現を待望する機運をつくっているのは,先行きへの不安である。
 
 未来への希望が見えにくい時代に求められているのが「とりあえずの希望」だけというのも寂しい話である。

 紹介した本の「座談会」の中で,筒井清忠氏が述べている部分を引用させていただく。

私がとりわけ強調したいのは,歴史をみるとどうもこの国は,我慢して我慢して,不満が鬱積して,それが爆発するという展開になりやすいということです。だから小出しに不満を解消しておいたほうがいいような気がする。

 さらに一番よくないのは,「一挙に何か変えられる」という期待を,マスメディアが広げすぎることです。3・11の震災後に後藤新平(関東大震災ののち復興院をつくった)への高すぎる評価もそうだったと思うし,民主党政権初期の期待も高すぎた。自民党に政権が戻ったあとの安倍政権に対する期待も,危ういものがあると思うのです。「一挙にものすごくよくなる」幻想をみんなが持つと,幻想も強くなりよくない結果に結びつく。そんなに簡単に一挙によくなるわけはないんだということを,メディアはもっと提示して,国民に浸透させ,成熟した意識を作っていかないといけない。


 「成熟した意識」が育ちそうにないのは,育てられそうにないメディアをもてはやしている国民が多いためでもあるが,「一挙に何かを変えることは難しい」「一挙に良くなったことは,一挙にさらなる悪化を招きかねない」という経験をたくさん重ねるチャンスがあるのも国民の側である。

 「民主主義」を学習するための代償が高くつかないですむことを望んでいたい。


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