村上春樹の学校観は,多くの人の共感を得ることができるでしょう。
 
 小説と同じです。大嫌いな印象をもっている人もいるでしょうが,グローバル・スタンダードの学校観といっても過言ではないでしょう。

 村上春樹自身は,学校が性に合わなかったといいます。
 
 学校が性に合っている人がものを書いて面白いと思わせることができたら,ぜひとも教師になってほしいものですが・・・。

 学校では,決まった時間になったら,強制的に特定の教科を学ぶ仕組みになっています。

 数学の時間に油絵を描くことは許されません。

 国語の時間に走り出したら怒られます。

 体育の時間が嫌で仕方が無かったようですが,学校を卒業した後,自分がやりたいスポーツを始めたら,面白くて仕方が無かったといいます。

 教師の私が言うのも何ですが,そうでなければいけないでしょう。

 教師は,学校では,子どもが主体的に学んでいるように騙しているだけとも言えます。

 おままごとの時間を許すような教育方法もあるようですが,子どもたちは決められた時間に,決められた課題をこなし,決められた字数でふり返りを書き,テストの点数も含めて序列化されていく。進路にも,その序列の成果が反映されていく。

僕が経験してきた日本の教育システムは,僕の目には,共同体の役に立つ「犬的人間」をつくることを,ときにはそれを超えて,団体丸ごと目的地まで導かれる「羊的人間」をつくることを目的としているようにさえ見えました。

 そしてその傾向は教育のみならず,会社や官僚組織を中心とした日本の社会システムそのものにまで及んでいるように思えます。そしてそれは・・・その「数値重視」の硬直性と,「機械暗記」的な即効性・功利性志向は・・・様々な分野で深刻な弊害を生み出しているようです。


 教師までが羊にされている現状では,子どもは何になれるのでしょう? 


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