「こんな能力が大事なんだ」という「憧れ」「願望」を旗印にして,「基礎」を疎かにした教育を目指そうとする勢力が出てきた。アメリカなどの歴史の浅い国のモノ真似なのだが,結果は目に見えている。格差の拡大である。「こんな能力」とは,ごくわずかな「できる人」が身に付けることに成功している能力だから。時代の最先端と目されながら,実は「時代遅れ」になりつつあると思われる。
 日本には,自然条件の制約があり,そもそもひどい格差ができない国柄なのかもしれないが,「格差を広げない」ための人々の努力もその背景にはあったあずである。

 歴史を動かした人物たちの調査を地道に続けていると,いろんなことが見えてくる。歴史家が果たしている役割の一つである。

 徳川家康がかつて敵対していた戦国大名の家臣を採用していることは,よく知られている。
 
>水戸は「敗者復活」藩
 
 では,著者が茨城大学時代に発見した水戸藩の面白さが紹介されている。

>「経歴に少々傷のある名門」の子孫が流浪の末,吹きだまりのように水戸城下に溜っていた。

 織田徳川連合軍に姉川の戦いで敗れ,滅亡した,朝倉義景の一族までもが水戸藩士に組み込まれているとする史料があるという。ただ,

>朝倉家滅亡後,「今川義元に属す」。今川家が滅ぶと,北条家に属し,またこの北条が滅亡して「浪人となり」,水戸藩士に

 という内容が,史実に反している,ということに気づけることも大切である。

 知識を軽視した歴史教育にすると,せっかく高校生でもできる「発見」や「大間違い」に気づくチャンスを逃すことになるかもしれない。

 道徳教育を考えてみれば話が早い。

 こういう道徳的価値を内面化し,素晴しい生き方ができるようになってほしい。だから,教室でこの題材を提供する。・・・こういう理屈で道徳的価値を体現できるようになる子どもは何%いるというのか。頭でどうにかすることができないからこそ,もっとまともな教育が求められているのである。

 まともな教育とは何か。歴史で言えば,「掘り起こす」ことがベースにある。

 道徳教育を主に担う担任教師が,子どもから何を「掘り起こす」ことに成功できているのか。

 教科書を使っていればよい,という発想が,子どもや教師の道徳心を激しく毀損するのである。

 歴史家が行っている思考法のうち,何が子どもの参考になり,何が参考にならないのか。

 「参考にならない」思考法を思いつける人の思考法は「参考にならない」と考えるのが自然ではないだろうか。
 
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