上記の号ではなく,7月増刊号に掲載された児美川孝一郎氏の「アクティブラーニングとの向き合い方~「器」に注ぎ込むのはどんな「魂」か」という文章が現場の教師にはとても参考になると思われた。
  
 新しい学習指導要領がめざす方向性についての示唆が的確である。

現在の政権がめざすのは,グローバル経済競争下での日本企業と日本経済の生き残りを国を挙げて支援することであり,先進諸国の間での人材育成競争に乗り遅れることは,政権にとっても致命的な失点となってしまう

 のはだれもがわかっていることだが,次の指摘は重要である。

この国における「新しい能力」論においては,欧米の議論におけては当然のこととして登場する「批判的思考力」という要素が,ほぼ完璧に抜け落ちている点にある。目の前の事象を対象化して捉え,疑問や問いを出しながら探究を深めるという「批判的思考」のプロセスを経ずして,はたしてALなど可能なのだろうか。
  
 著者がこの後の記述で危惧しているような「戦争ができる国づくり」が成功するかどうかはわからないが,私がある調査に関与した(まだ結果は公表されていない)経験から言えば,「絵に描いた餅」で終わるような気がしている。

 私が繰り返し主張していることと,著書が述べていることが一致しているのは以下の内容である。

ALなどという言葉を持ち出さなくても,学びは本質的に能動的なものである。「教え」と「学び」は非対称な関係にあり,どんなに巧みに教えたとしても,子どもの内側から能動性が発動しない限りは,「学び」は成立しない。ただし,そのことを学習のプロセスに沿って見れば,学びにおいては,子どもが常に能動的に活動しているということを意味するわけではない。
 
 子どもを全滅させようとしているある教育方法は,次の3つの重要な点を完全に無視している。

教えられなくてはいけないプロセスがある。

>習熟が必要な段階がある。

>沈思黙考のプロセスがあるから,深い思考ができる。


 教師が教えることや指導することを躊躇した「新しい学力観」の登場の二の舞にならないようにしたい。

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