教育予算を拡大するためには何が必要だろうか。
 
 日本は先進国に比べ,「安上がりの公教育」を長年維持してきたが,そのツケが回ってくるころには,「公教育」自体が成り立たない社会になっていることだろう。
 
 どうしたら金持ちが自分の子だけに金をかける国ではまく,「みんなで子どもを育てる」意識を持てる国になれるだろう。

 哲学に関係する本からこんな部分を引用されるのは著書にしてみれば心外かもしれないが・・・

刺身が食卓にのぼるためには小売業者だけでなく市場や漁師,流通業者などのネットワーク,魚の捕獲や輸送,冷蔵,冷凍,調理,衛生管理などに関するしかるべき設備と技術,また適切な衛生観念やモラルなど,すべてがそろっていなければならない。包丁やまな板,醤油やワサビ,ツマなどに関しても同様である。・・・(後略)

 この後も水産業の人材を育成するために必要なものなどが紹介される。

 何が言いたいのかというと,刺身一つとっても,社会には非常に広範囲なネットワークが存在する。
 
 しかし,学校教育はどうだろうか。
 
 ありとあらゆることを教員に求めても,すべての質が保障されるわけではないことは,自明のことである。時間も体力も限られている。

 教育にももっと広い裾野が必要なのではないか・・・という構想をもとにして,予算獲得に動ける官僚を育てることはできないだろうか。

 「チーム学校」や「開かれた教育課程」は,「開かれた学校づくり」と同様,お題目だけで終わる可能性が高い。地域の人たちも,「勤務時間が決まっている公務員ほど暇じゃない」「金曜日の明るいうちから酒が飲める身分じゃない」と学校にそっぽを向く傾向がある。

 だから言葉遊びではなく,もっと強力なメッセージが必要である。もっと言えば「減税」などとセットにした「寄付文化」を根付かせたりする発想もほしい。

刺身文化は,料理とそれを食べる人という狭い範囲だけで成立するものではない。それは,漁業の域を超えて工業や農業,金融,国家予算,教育など,一国家,さらにそれを超えて世界各地におよび,膨大な設備や技術,モラルなどの集積においてのみ存在しうる。文化とは巨大ネットワークであり,だからこそある地域文化をほかの地域に移植するのは容易ではなく,また,文化が一度壊れると復元困難である。

 教育に関する法律は,義務教育,中でも小学校を念頭に作られている。

 そういう経験と観念しかない人が,教育で「働き方改革」を断行しようとすると,中学校教育の「文化」が破壊される恐れがある。

 刺身なんて食べられない国もあるんだから,フライが食えればいいだろう

 なんていう感覚の人間がトップにいないことを望む。

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