行動しない人間は「無」に等しい。
ということは,学校というところは,「無」を大量生産する場所という意味になる。
教員がもしルールに縛られない,ということになったら,どんな「行動」をし出すだろう。
体罰をしまくるのか,暴言を吐きまくるのか,それとも『学び合い』に逃げ込むのか。
今も相変わらず,好き勝手できる学校があるようだが,「自由」の本当の怖さを知っているのはどういう人たちだろう。
自由になると,とたんに何もできなくなる人がいる。定年後のおじさんたちを揶揄しているわけではない。真面目に「無」になって採用試験に受かった若者が,「自由」を与えられて「無」であることに気づいたときに,教育関係だと逃げ場は大学しかなくなってしまう。そこで再び「無」に還る。
一方で,「行動」「行動」と言っている人が,実際には何もできないで苦しんでいたりもする。
あるいは,「行動」「行動」と口に出していることだけで満足していたりもする。
何も語らずに黙々と仕事に打ち込む姿に感じるものがなくなった人が求めているものがよくわかる本である。
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