昔は教師の中に,落語に通って「話術」を磨いた,と語っている人がいたものだが,最近はどうだろうか。「話術を磨く」という範疇であるうちは,おそらく「落語」という世界には入っていない人だったと思われる。
 
 「まくら」で観客の反応をたしかめながら,ネタを決める,という落語家の度胸というか引き出しの多さを体得するまで,教師なら何年くらいかかるだろうか。

 教師の中には,高校や大学では特に,とにかく最初から最後まで,自分が言いたいことを言って終わり,というスタイルの人がいる。その真逆で,ほとんど言いたいことがないために,相手の言葉をオウム返しするしかできない壊れたボイスレコーダーみたいな人もいる。「対話」ができない子どもが増えているのは,そもそも「対話」のない関係を教師と長時間共有し続けたツケなのだろう。
  
 前座の役割とは何か。この弱肉強食の世界で,「自分を殺す」ことの意義に気がつくことのできる環境で生きられる人は少ない。

 本当に理不尽な改革を押しつけてくる,生産能力ゼロの管理者たちをどう消滅させるかが,働き方改革の基本である。

 日本の行政の根本問題は,本物の「前座」らしい仕事をせずに管理職になってしまうことにあることがわかった。

 古典芸能「落語」の奥は深い。何より,弱い立場の人,困り者を「許す」ゆとりを与えてくれる芸は,社会の無駄を大幅に減らしてくれる効果があると思われる。

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